プレ老後ライフは貴族趣味

ミドルエイジをポジティブに生きる

乗馬と不倫

概して、乗馬クラブでは不倫が多い。

もちろん世の常として他のスポーツや習い事、いやどんなコミュニティでもそういうことはあるだろう。

でも、私が十数年来知る1ダースほどの乗馬クラブのうち、伝聞も含めてかなりの確率で「不倫」絡みの事件を知っているから、多い方だと思っている。

長く平和に乗馬を続けようと思ったら、数少ない品行方正なクラブを見つけることが大事だと思う。

そうでなければ、トラブルに巻き込まれないよう、最善の行動をとる必要がある。

昔、通っていたいくつかのクラブでは、そういう時には当事者たちから距離をとり、遠くから眺めるのが常だった。

一編の映画でも鑑賞するみたいに。

 

既視感のある「不倫」

さて、私が知る限り、乗馬クラブの「不倫」には共通点があった。

そもそも女性の比率が圧倒的なのに加えて中年以上が多いこともあり、必然的に「既婚女性のお客」「既婚または未婚の男性インストラクター」の組合せになることが多い。

とりわけ「乗馬を始めたばかり」の女性と「そういう女性に慣れた」男性指導員のカップルは、春になると桜が咲き、そして散るのと同じくらい見慣れた風景だった。

女性の方は、生まれて初めて乗った背の高い、思い通りにならない馬に心も身体も翻弄される。

そんな馬を男性指導員はいともたやすく優雅に御し、騎乗姿も堂々としている。

たったそれだけでまだ出会って間もない女性の「尊敬と憧憬」を一身に集めることができるのにも「慣れっこ」だ。

「不倫」と言うとすぐに「肉体関係」を想像する人もいるかもしれないが、それは些か性急だと思う。

むしろこのプロセスでは古典的な恋愛映画ように、互いの「視線」を大いに活用した濃密な駆け引きが重要な伏線となっている。

しかし、こうした乗馬クラブの不倫は、判で押したようにいつも同じで、常に「既視感」があった。

 

「不倫」と貴族趣味

一般的に「乗馬」「貴族」的な趣味だと思われているふしがある。

「乗馬」「不倫」を結び付けるのはちょっと乱暴だと思われるかもしれないが、そこに「貴族」というワードが加わると、一気に調和がとれてくる気がする。

「乗馬」-「貴族」-「不倫」

この3つのワードが喚起するイメージは枚挙にいとまがない。

例えば、英国の故ダイアナ妃と「不倫」関係にあったとされる王室騎兵隊の将校が元妃の「乗馬のインストラクター」だったのはよく知られている。

それも馬好きの元夫、チャールズ皇太子(現国王)がわざわざ元妃に乗馬の手ほどきをしてもらうべく手配した人物だったという。

チャールズ皇太子もまた、当時は「不倫」だったカミラ現王妃とは「ポロ(乗馬しながらの球技)」仲間でもあったそうだから、またしても3枚のカードが揃っている。

 

文学の中の「不倫」

文学の中で最も有名な「不倫」を選ぶランキングがあったら、最有力候補はギュスターヴ・フローベールGustave Flaubert)のボヴァリー夫人Madame Bovary)ではないだろうか。

この小説(映画)の読者なら、主人公ボヴァリー夫人の最初の「不倫」相手が「貴族」であるとともに、夫人の「乗馬インストラクター」でもあったことをご存知かと思う。

ここでもまた3つのカードが揃っている。

個人的な経験から、人妻が夢想から一歩踏み出し破滅していくきっかけを「乗馬」に設定したのには、色々見てきた私にはゾッとするほど現実味がある。

世間には不倫を糾弾する人も結構いる。

しかし女性は生まれて初めて乗った背の高い動物の上で、今まで経験したことのない動きに不安を感じ、心拍数が上がる。

その眼前には心配そうに自分を見つめる男性がいて、初心者にとっては「神」に等しい。

これはまさに心理学でいうところの「吊り橋効果」に近い現象が起きているに違いない。

だからボヴァリー夫人や乗馬クラブの夫人たちにも情状酌量の余地はあるのだろう。

しかしなぜこうも皆、金太郎飴のように同じ絵柄の「不倫」なのか?

倫理だとか道徳だとかについて、特に言いたいことはない。

ただ繰り返し見た恋愛劇の「凡庸さ」にはちょっとうんざりしている。

ボヴァリー夫人』という小説のテーマ(もしあるとして)が何なのか、私は知らない。

けれども「乗馬」と「不倫」という、自分にとって新鮮味に欠ける題材から思うに「凡庸な人間が繰り広げる物語の凡庸さ」がテーマではないかと推測する。

世界中のどこにでも転がっているような物語を、冷徹に客観視して描いたフローベール「小説」のイメージを覆し、革新をもたらした。

「乗馬」のイメージもまた『ボヴァリー夫人』の世界のような古臭い「貴族」趣味という既成概念、固定観念からは大きく変化していると思う。

現代では人間が主人公ではなくて馬ファーストだし、馬を尊重し、馬との調和を追求し続けるタフなスポーツだ。

そして個人的な意見として、乗馬は凡庸な不倫よりもずっとエキサイティング長続きする楽しみであることは間違いないと思う。

はてなブログに戻ってきた理由

こちらの記事は下記の自己紹介を補足するものです。

prerougolife.hatenablog.com

今から1年近く前、「雑記ブログ」寄りの「テーマブログ」をひとつ作りたいと考えていた。

実はそうしたブログもすでにあったのだが、次第に企業からの「案件」が入ると趣が変わっていった。

「案件」と「記事」とのバランスもあるし、ブログ全体としてのテーマイメージを最大限考慮しなければならない。

そうなってくると「雑記」らしいネタ、例えば全然関係のない「大相撲」の話題とか、生産性のない漠然としたアイディアなどは記事にしにくくなってくる。

でもブログとしては「独り立ち(=商業化)」したとも言える。

「我が子が独立した親の気分」とはこういうものかもしれない。

そこで新たにはてなブログを始めて、もっと思いのままに趣味関心事を綴ろうと思った。

徒然草にも「思しきこと言はぬは腹ふくるる(思ったことを言わないとお腹が膨らんでしまう)」と書かれている。

折しも、クラシック音楽関連の報道がきっかけで興味深い「時事ネタ」を見つけた。

自分の趣味スキルも生かせるし、ブログの立ち上げ材料として丁度良いと思った。

 

ところが、実際にブログを始めると想定外のことが起きた。

2つ目の記事をアップした時点でPV が数百になり、その後も増え続けた。

なぜそんなことになったかというと「ネタ」として取り上げた人物に理由があった。

ネット上には当時その人物についての情報がほとんどなかったことに加え、突然湧いた「にわかファン」が検索した結果、アクセスが殺到したのだった。

「記事が誰かの役に立って良かった」と思ったのは、最初だけだった。

コメント欄節度とマナーが守られていたのも、最初だけだった。

はてなブログ」から通知が来る。

開くと(一部の人たちから)1000~2000文字を超える熱狂的な思いを綴ったコメントが、記事更新のたびに毎回送られてくるのだ。

はてなブログはコメント欄の文字制限が設定できない。

「なぜ『推し』本人にではなく、私に感情をぶつけてくるのだろう?」

それが生身の「恋愛感情」ではないとしても、自分より年長の女性の、若い男性に対する「熱狂と陶酔」に嫌悪感を抱いてしまったのは初めてだった。

それに他人のブログのコメント欄を「自分の気持ちのはけ口」にしたり「匿名掲示板」のような使い方をするのは、あまり褒められたことではないと思う。

もっと困ったのはその「ネタ」に関して肯定的な言説しか受け入れない有言無言の「圧力」だった。

少しでもネガティブな要素を書くと「でも...」と否定してくる。

これによって私は書きたいことが書けなってしまった。

「馴れ合い」というのは一種の共依存であり、人から自立と自由を奪うものだと思う。

対策は講じたが効果はなく、結局コメント欄は閉鎖することにしたが、その後も記事の剽窃など気持ちの悪いことがあって、ブログ自体も閉鎖した。

その残骸の一部は note に葬った。akira|note

知人に言われて最近知ったのだが、当時の「ブログタイトル」ハンドルネーム」はいまだに「Yahoo 検索」のサジェスト関連検索ワードに出てくる。

普通だったら、ブログ運営者として「検索される」のはこの上なく光栄でうれしいことだ。

でも、この件に関してはちょっと怖い。

 

ブログをやるというのは、ひよこからニワトリを育てているようなものかもしれない。

商業ベースに乗って「自立した子」もいれば、こうして「ニワトリになれなかった子もいるのは仕方のないことだろう。

挫折してしばらくは「新たなひよこ」のことは考えられなかったが、時が経つにつれ癒える傷もある。

また新しいはてなブログを育ててみたいと思ったのが、このブログを始めた理由だ。

けれども目的は爆発的なPV でもなく「立派なニワトリ」にすることでもなくて、精神の自由のためだと思っている。