「ビッグなブロガー」と「自慢話」と「改正プロバイダ責任制限法」

日本語じゃないと謙虚じゃない

いきなりだが、ちょっと自慢話」をする。

といっても「名誉」も「カネ」も絡まないのは、小さな「承認欲求」「自己顕示欲」であり、大した自慢ではないと個人的には思っている。

むしろ人からどう思われるかを気にして、いかにも「これは自慢ではありません」風にぼかしてあいまいに書く方がいやらしいし、面倒くさい。

でも「日本語の世界」は、そういうのが多いと思う。

私にとって日本語は母語であり、かつては日本語や文学を専攻していたので思い入れを持っている。

しかし日本語にはいつも何か「小骨が喉に刺さった」ような違和感があった。

それがその後、8割英語圏(2割フランス語圏)にいるうちに、頭の中の霧が晴れたような気分になった。

そして肝心の自慢だが、英語ネイティブから

「あなたの英語は絶妙な表現だね」

と言われたことだ。他にも、

「理屈っぽく絡んでくるフランス人をロジックで言い負かす」

「言い訳をしてくるうるさいイタリア人を黙らせる」

などの「ドヤ!」エピソードがある。

一番印象的なのは、有楽町のビックカメラで、成り行きで話した中国人から言われたことだ。

「日本人じゃないでしょう?」

「日本人だよ!」

「いーや、信じないな...」

「日本人だよ!日本人じゃないなら、何人だと思うの?」

「...(沈黙)」

「え?中国人じゃないよ!」

「(笑)...(爆笑)」

上の「自慢話」を読んだ人は、この中国人に首肯するかもしれない。

だって謙虚じゃないもの。

日本語じゃないと自分は「中国人」なんだろうか。

そう認識した出来事だったが、中国人にそんなことを言われるなんて心外だし不満だから、自慢話ではないだろう。

 

日本語のせいで「偉くなる」人々

そんな私は、昔のことだが英語圏から日本に戻ってきてから精神的に落ち込んだことがある。

知人の紹介でしばらく小さなイベント会社で仕事をしていた。

オペラなどの興行会社だったから、チケットの件でお客さんからよく電話がかかってきた。

私はその電話対応で大いにしくじっていた。

「だからね、それが、あれなのよ!」

電話をしてくるのは「おばちゃん」「おばあちゃん」が多かった。

何を言っているのか、何を言わんとしているのかも判別できず、

「『それ』というのは何でしょうか?どういったことで困りなのでしょうか?」

と聞くと、「ハァ?何でわからないの?」と逆上するおばちゃんは珍しくなかった。

あまりにもおばちゃんたちが横柄だったので、上の「ドヤ」エピソードとは裏腹に、私はヘイコラするようになった。

日本語になったとたん「ヘイコラ」しなければならないのはショッキングだった。

でもそんな体験から少ししてから、電話の一次受けで

「お客様との通話を録音させていただく

ようになった企業が増えた気がする...

 

「ヘイコラ」してる日本語

私が最初のブログを始めたのもその頃だった。

しかし日本語で書かれた多くのブログを読んで、衝撃を受けた。

「何だ?この読者に異様にていねいでへりくだった書き方は?」

と思ったのだ。

私のブログの認識は公開された「日記の延長線上のもの」だった。

だから「他人のブログを読む」というのは、感覚としては「読ませてもらう」に近い。

なのに「Thank you for visiting my page! 」的な「ブログに来て(くれて)ありがとう!」

ならまだしも、

「ブログを読んでくださってありがとうございます!」

と媚びなければならないのだろう?

というのが疑問だった。

しかしすぐにそれは商業ブログとしての「ビジネスライティング」だと理解した。

商業ブログというのは「広告」を付けているから、ビジネスとして「ありがとうございます」は媚でも間違いでもない。

それからは自分も広告を付けているブログにはその謝辞を添えるようになった。

しかし、書き手が読者に対してへりくだる理由」は他にもいろいろあると思うようになった。

(そのひとつは「日本語の本質的な性質」に関わる問題でもある。)

 

「無法地帯」だったコメント欄

今秋プロバイダ責任制限法が改正された。

インターネット上での違法なカキコミによる被害救済が一歩進んだということだ。

これには賛否両論あるが、SNSやブログをやっている人間にとってはメリットが大きい。

なにしろブログのコメント欄は「犯罪者の巣窟」みたいなのが少なくなかったからだ...

「いや、よくもここまで他人の『人格否定』ができるものだ...」

と感じるものは本当に多かった。

そんな現実から、

「(豹変する可能性を秘めた)読者を刺激しない(逆上させない)ようにという恐怖心から、書き手は気を遣ってへりくだって書いているのかもしれない」

と思うようになった。

「読者様も神様」?

なんだろうか、日本では。

 

アンチがいるブロガー

誹謗中傷に対する法整備の進化によってこうした不穏な話は減っていくだろう。

でも一方で、自分でも商業ブログを運営していて思うことがある。

それは、

アンチがいるブログはやっぱりすごい!

ということだ。

これも現在は法改正の影響で下火かもしれないが、昔は人気ブログの中には匿名掲示板などで「ニラヲチ(ウォッチングしているスレッド)」されているものがあった。

わざわざ掲示板にスレッドをたてたり、書き込んだりするくらいだから「アンチ」なのは間違いないだろう。

でもアンチというのは「ファン」と同じくらい、いやむしろ「もっと」熱心にウォッチする人々だ。

そして「ビッグなブロガー」には必ずアンチがいて、ファンしかいないブロガーよりもずっと存在感がある。

そんな「ビッグなブロガー」に共通している要素がある。

それは「これ見よがしに書く」か「そこはかとなく書く」かは別として、

「自慢」もしくは「承認欲求」「自己顕示欲」がある。

だからアンチが付くのかもしれない。

かくいう私にはもう少し大きくしたい商業ブログがある。

「ニラヲチされてみたい」という願望も心に秘めているが、今のところは叶いそうにない。

そこでもっと自慢話を繰り広げて、アンチを獲得しようかと画策しているところだ。

「謙虚な日本人」と「ていねいな日本語」は「自慢話」を嫌うからだ。