コロナ禍のせいで、今までの人生にはなかった突発的な「空白の時間」が発生するようになった。
最初は「ステイホーム」によるものだったが、その後は「濃厚接触者の濃厚接触者かもしれない」のパターンが増えた。
はじめの頃は慣れなかったが、この「空白の時間」を消費するのにピアノの練習は丁度いいタスクだと思うようになった。
なので以前はごくたまに気まぐれに弾く程度だったのが、もう少しだけ日常的になった。
はじめは漠然とバロック音楽でドイツ、フランス、イタリアを巡る的なのを思いついて、バッハ、ラモー、スカルラッティあたりを練習しようと軽く考えた。
まずはバッハということで久しぶりに「インベンション」→「シンフォニア」を弾き始めた。
子どもの頃習ったことを思い出しながら、指が思うように動くようになったら「フランス組曲」→「平均律」と進めていこうという安直な考えだった。
昔バッハを習っていた頃は、技術的にはどんどん弾けるようになっていた時期だったからか、次の曲、次の曲と進んでいった。
でも、今思うと中身がないというか、ただ「催眠状態」みたいにぼーっと弾いていた気がしてきた。
今はというと、すらすらとはいかないものの、色々なことに気が付くし、細かい所もよく考え(られ)るようにもなっている。
しかし、弾いても弾いても納得がいかないし、見極めてくれる先生もいないから、いつをもって「完了」とすればいいのかがわからない。
気分によってインベンションだけの日、シンフォニアだけの日もあれば、何番を両方(インベンションとシンフォニア)セットでやる日もある。
完了地点がわからないまま、いつも同じことの繰り返しだが不思議なことに「飽きる」こともない。
ある日、試しに「フランス組曲」を弾いてみたら、なぜか驚くほど弾きにくい。昔はどう弾いていたのか、頭も指も覚えていなかった。
そんな牛の歩みではあるが、当初のプランどおりドイツからフランス、イタリアを巡りたいと思った。
だが今度は、スカルラッティの楽譜はどれにすればいいのかわからない。子どもの頃は先生が用意してくれたのをやっていただけだったせいだ。
何しろ鍵盤楽器用ソナタは555曲もあるらしいから、ひとつの沼というか、こっちはほぼオーシャンと言えそうだ。
面倒になってきたのでイタリアは後回しにして、フランスのラモーを弾くことにした。
バッハ(インベンションとシンフォニア)の沼に潜って、時々浮上してラモーで屈伸運動みたいなことを半年以上、続けている。
このままでは死ぬまでに「平均律」までたどり着くのは難しい気すらする一方、平均律より「フランス組曲」「イギリス組曲」の方が難しい気もしてきて、ちょっとわからなくなった。
あるいは、ニーチェ的な世界観だと「前に進む」はなくて、やっぱりこのまま「永劫回帰(永遠に繰り返し)」ということなのか?
やっぱり趣味は浅く「そこそこ」やる方が良いと改めて思った。
バッハの沼は深すぎる。