私は仕事としても文を書く時があって、そういう時は文体も意図的だが、自分の主観や感情なんかも排除することが多い。
でもプライベートで自由に好きなことを書く時は、抑えているつもりでも感情や気分がすぐに表れてしまう。
このブログを始めた頃の文章はどれも重苦しいトーンだ。
思い返せば体調がイマイチだったし、気持ちも冴えなかった。
その理由は分かっている。
日に日に陰鬱な気分になっていくので、時々はほがらかな若元春や快活な宇良を応援してやり過ごしていた。
しかし正代が負け込んでいるのは精神的にツラい。
大関に昇進してからこの2年は、2か月に一度こうした体調不良と気分不調の波がある時が多い。
今月は場所がないから体調もよく、心穏やかに日々を過ごすことができそうだ。
私だけでなく全国の正代ファンも同じ「症状」を発症している気がしてならない。
精神面の不調では感情の起伏が激しくなる傾向がある。
今年の大阪場所であの「正代直也の直は立ち直るの直」の横断幕が出現してからというもの、正代関へのメッセージ横断幕を見ただけで泣けてきたり、逆に笑ってしまったりと情緒不安定だ。
名古屋場所も5日目までは、もう絶対ダメだと思って毎日地面を見ていた。
しかしそこからまさかの7連勝でカド番脱出という奇跡を見せてくれた。
もう正代なんかどうでもいいと突き放していた北の富士さんだって「ほぅ」とか仰りながら表情筋が緩んでいるように見えた。
「奇跡」
正代が起こした「奇跡」といえば印象深いエピソードをテレビで観たことがある。
NHK の「スポヂカラ!」という番組の正代特集だった。
現地の避難所で正代に出会ったひとりの男性。
病に倒れ身体が不自由になった直後に震災に遭い、生きる気力を失って絶望していたという。
ところが正代に会って言葉を交わし握手して写真撮影すると、ぱーっと光が差したように気持ちが晴れやかになったと語る。
男性の心の中に生きる希望が生まれた。
それからというもの正代を応援するためにリハビリに励むようになったそうだ。
立ち上がるのもままならなかったのに、見事に回復。
今では自転車に乗って好きな場所に自由に行けるようになったそうだ。
好きな場所とは、場所中、正代が勝ち星をあげた夜に地元の有志によって行われる「打ち上げ花火」がいちばんよく見える特等席のことだ。
正代のことを「あんなにやさしい人がいるなんて...」と男性はこのうえない満面の笑顔で言う。
ここで観ている方も涙腺崩壊は必至だ。
あれ?この話、どこかで聞いたことがあるぞ。
そう思って考えてみると、キリスト教の聖書じゃないだろうか?
聖書の中に、宇土市の男性と同じように起き上がれなかった病人が回復して歩いた話があったはずだ。(注:新約聖書の「マルコによる福音書」にイエス・キリストが多くの人々の病を癒した話が頻出するらしい。)
今までにもアニメ『呪術廻戦』の大ヒットを「予言」したとか、コロナ後遺症の味覚障害を「マクドナルドハンバーガー」で克服したとか、不思議な力の持ち主だとは思っていた。
でも神様みたいな癒しの「奇跡」が起こせる正代って...もしかして...
↓ キリストつながりで天草地方の世界遺産(隠れキリシタン集落)を案内する正代関
ただひとつだけ気になることがある。
イエス・キリストは数々の「奇跡」を起こすけれども、「自分のためには」とうとう最後まで奇跡を起こさないという点だ。
それだとまずい。
正代関には九州場所でぜひとも自分のために「奇跡」を起こしてほしい。
というか「奇跡」じゃなくていいから、強い正代が見たい。
場所前はいつも「優勝争いに絡めるように」と目標が控え目すぎるから「優勝したい」と言って欲しい。
「九州場所では強い正代が見られますように」と神様にお祈りすることにした。