「優しすぎる鎌倉殿」源実朝の優しさを感じる和歌三首

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、いよいよ和田合戦が始まって不穏な流れに歯止めがかからなくなってきた。

あと約一か月半で承久の乱の後処理から北条義時の死まで行くとするとかなり忙しそうだ。

つまり、私のかつての「アイドル」源実朝に振りかかる「あの悲劇」も迫ってきているということになる。

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ドラマの中で小池栄子さん演じる北条政子が、次男実朝は父親の頼朝に「全然似ていない」と口にする場面があった。

これは私も昔からずっと思っていたことだし、今までドラマを観ている人も、観ていないが歴史を知っている人も、みんな同じように思っていることだと思う。

以前の記事にも書いたが、私は実朝は「現代からタイムトリップした人かもしれない」とすら思っている。

それほど「現代的な感性」の持ち主のように感じるからだ。

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そんな実朝のキャラクターの一番の特徴は何といっても「優しい」ではないだろうか。

ドラマの中でも実朝が優しく配慮の行き届いた人物であることが丁寧に描かれている。

本記事では歌人としての源実朝が個人の和歌集(家集 かしゅう/いえのしゅう)である『金槐和歌集』に遺した和歌の中から、特に「実朝の優しさが感じられる三首」を選んでみた。

 

1. 旅人に優しい実朝

 

二所へ詣でたりし還向に春雨いたくふれりしかば

春雨はいたくなふりそ 旅人の道ゆきごろもぬれもこそすれ(雑595)

春雨はそんなにひどく降らないでほしい。道行く旅人の衣服がぬれてしまうではないか。

この和歌は万葉集新古今和歌集)に入集した山部赤人の歌の本歌取りである。

春雨はいたくなふりそ 桜花いまだ見なくに散らまく惜しも(万 巻十 雑 1870)

春雨はそんなにひどく降らないでほしい。桜の花をまだ見ていないのに散ってしまうではないか。

実朝の和歌の先生であった藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ)は、和歌の創作だけではなく「理論」の方にも大きな業績がある。

本歌取り」のルールも定家(とその父親俊成)によって確固としたものになった。

そのルールから見ると、実朝の上記の歌は本歌取りのルールからはちょっときわどい。

なぜかというと「上の句の3分の2が本歌と同じ位置の引用」つまり簡単に言えば「ちょっとパクリっぽい」からだ。

「え?実朝がパクリ疑惑?」

著作権のない時代だが、当時の和歌の世界は意外と「パクリ」に厳しい。

けれども、この実朝の和歌が詠まれた状況を考慮すると、剽窃とは違った創造過程がイメージできる。

それは歌の前に添えられた「詞書(ことばがき)」の文言が理由だ。

「二所へ詣でたりし還向に春雨いたくふれりしかば」

この和歌が詠まれたのは、二所詣(鎌倉殿が毎年正月の恒例行事として伊豆山権現に参拝すること)をした帰途での出来事だと書いてある。

当時の和歌というのは現実の出来事を詠むのではなく、ほとんどが「題(タイトル)」を熟考して、頭の中で創り上げるスタイルが主流だった。

それに対してこの時の実朝は「旅行中に降ってきた雨」を実際に見て感じて詠んでいる。

おそらく実朝は降り出した春雨を見て、ぱっと頭の中に山部赤人の歌が浮かんだはずだ。(教養があるってそういうこと)

でも我らが「優しい鎌倉殿」には

「あーあ、雨が降ったら自分、桜が見れなくなっちゃうじゃん」

という利己的な発想はない。

ひたすら箱根路を行き交う旅人たちを心配しているのだ。

だからこそ、赤人の歌(という形而上的な世界)から、実際の旅路で目にした現実の人々の様子にぐっと意識が向いている。

だからこの和歌は「単純な」本歌取りという手法の観点からのみで捉えることができないと思う。

道ゆきごろも」という言葉は新古今時代の和歌の言葉としては珍しく「リアリティ」に満ちている。

鎌倉時代の人々はどんな「旅行着」を着ていたのだろうか?

それが「冷たい雨に濡れてしまわないように」と思っている実朝は、ほんとうに優しい。

 

2. 子どもに優しい実朝

 

道のほとりにをさなきわらはの母を尋ねていたくなくを、そのあたりの人にたづねしかば、父母なむ身まかりしとこたへ侍りしをききて

上記はとても長い「詞書(ことばがき)」だ。

要するに

「道のほとりに幼い子どもが『お母さん』と探しながら泣いているのを見て、近くの人に訳を尋ねてみると、『両親とも他界した(子だ)』と答えたの聞いて実朝が詠んだ歌」

ということだ。

いとほしやみるに涙もとどまらず おやもなき子の母をたづぬる(雑 717)

なんとかわいそうなことだ!見ていて涙が止まらない。親のいない子が母親を探しているのだ。

実朝の時代というのは、天変地異(天災)が絶えず不安定だったと言われる。

それもあって当時の人々は疑心暗鬼になりがちで何かというと「不吉」とか「凶兆」とかに結び付けて考えていた。

ちなみに和歌では月以外の「天体(星)」は詠んではならないことになっている。

不吉だからだ。

でも実朝の和歌の師匠、藤原定家はもちろん和歌には星は詠まないものの、夜になると星空を眺めるのが習慣だったようだ。

なぜなら定家は星空を観察していて発見した「超新星」について詳細に自分の日記『明月記』に書き記しているからだ。

この記録は13世紀の天体観測記録として世界的に見ても非常に高く評価されている。

そんな不安定な時代の世相を反映した「孤児」。

かわいそうな子どもに向けられる鎌倉殿実朝の眼差し。

やっぱり実朝は優しい。

 

3. 動物に優しい実朝

 

慈悲のこころを

物いはぬよものけだ物すらだにも あはれなるかなや親の子を思ふ(雑 718)

言葉をしゃべらない世の中の動物だって、親が子を思う気持ちがあるというのは心が打たれるなあ

「獣(けだもの)」という、これまた歌語としては斬新な単語が飛び出す実朝ワールド。

現代では、動物も人間と同様(いやむしろもっと)慈しみの心を持っていることを多くの人間は知っている。

しかし昔の人間が動物について「人間と同じように」考えていたかどうかは分からない。

17世紀フランスの哲学者、数学者として有名なデカルトという人がいる。

彼の主張に「動物機械論」というやつがある。

かんたんに言えば

「動物には精神(魂)がないから言わば『機械』のようなものである。人間は『機械』を利用していいっしょ」

というぶっ飛んだ理論だ。

また同時代のドイツには有名な哲学者カントという人がいたが、同じように

「動物には自意識がないから人間が自分の目的のために利用してOK」

などとめちゃくちゃなことを言っている。

そんな暴言の数々から数百年も前に、鎌倉殿実朝はちゃんと「動物にも心(魂)があること」をしっかり観察して感動を覚えているのである。

デカルトやカントには、我らが実朝の爪の垢を煎じて飲ませたいと思う。

それにしても、実朝はほんとうに優しい。

太宰治の『右大臣実朝』などは実朝のニヒルな諦観みたいな部分をクローズアップしている。

でも個人的には、やはり実朝の根本はあらゆる人間、生き物に対するポジティブな優しさにあふれていると思っている。

そんな優しい実朝をあんな目に遭わせた「真犯人」は誰なのだろうか?

ドラマの展開が気になる年末になりそうだ。

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