先日 NHK でピアニストのスタニスラフ・ブーニン氏の番組が放送されていた。
私は子どもの頃、彼のリサイタルに行ったことがある。
当時の日本はバブルで、ショパンコンクールで一躍脚光を浴びた若いブーニン氏はピアノを聴いたことがない人まで熱狂した社会現象だった。
演奏会については、ブーニン氏が観衆には目もくれないといった風情でものすごい集中力でピアノをかき鳴らしていたことと、彼に花束を渡したい女性の長蛇の列のことしか覚えていない。
この十年近く、先天性の疾患と事故による骨折の経過が悪く、コンサートはおろか日常生活さえ大変だったそうだ。
今年ようやく復活コンサートを開くまでの、日本人の妻との夫婦二人三脚の感動的なドキュメンタリーだった。
だがしかし、一番強く私の心に残ったのはピアノとはまったく関係のない場面だ。
復活コンサートの直後に
「今食べたいものは何ですか?」
と問われたブーニン氏が、
「京都の懐石と、天ぷら」
と言った後、慌てて
「東京の天ぷら」
と慣れた日本語で言い直したのだ。
「京都の懐石と東京の天ぷら」
絶対に「東京の懐石と京都の天ぷら」ではないのだろう。
私もそう思う。
このロシア人、美味しいもの知ってるな。
ロシア人と言ってもソ連時代に西ドイツに亡命したブーニン氏は、「母語」であり「母国語」でもあったロシア語を話さない。
基本はドイツ語で、日本語も話すようだ。
「東京の懐石と京都の天ぷらが食べたい」
と日本語で嬉しそうに答えていたブーニン氏は、即座に
「(そうじゃなくて)妻の手料理でしょ?」
と妻からドイツ語でツッコまれていた。
昔は強面の怖そうな人だと思っていたが、意外とかわいらしいタイプなのかもしれない。
彼が選ばなかった方の「東京の懐石と京都の天ぷら」については、ブーニン氏がロシア語を話さないのと同様、私もリアルでは口を閉ざすようにしている。
でも本音では色々ある。
私は子ども時代から遅くまで続いた学生時代の終わりまで、断続的ではあるが近畿地方で過ごした経験がある。
子ども時代はバブルだったのもあり、神戸の「ジャンムーラン」「コムシノワ」(現在のブーランジュリ以前のフレンチ)など「伝説の名店」も行きつけで、子どものくせに舌が肥えて生意気だった。
祖父母も大変なグルメで、祖母は料理の腕前も玄人並みだった。
味付けは当然すべて関西風だ。
今東京で暮らしているが、慣れるまで関東の味付けは悪夢のようだった。
フレンチ、イタリアン、中華はまだいい。
問題は日本料理の味付けだった。
もう片方の祖父母は東京だったが、そちらの祖母の味付けは有名な日本橋「弁松」にそっくりだった。
つまり濃口醤油と砂糖の「甘じょっぱい」味。
関東の味付けは基本的にすべてこの味だと思う。
醤油カラーのパンチ力もさることがながら、とどめを刺すような甘さにもノックアウト気味だった。
しかし、東京にも美味しいものがないわけではない。
関西より美味しいものの筆頭は、やはりブーニン氏の挙げた天ぷらだろう。
江戸前の寿司はもちろん美味しいが、個人的には京都の鯖寿司や大阪の箱寿司の方が好きだ。
あとは蕎麦も美味しい。(しかし私は最近滋賀の「鶴喜そば」が食べたくて仕方ない)
しかし、うどんとなると...
東京のうどんとは...
病気の時、最も食べたくないのは「関東風鍋焼きうどん」かもしれない...
東京に暮らしている関西人の中には、東京のうどんは「餓死しそうになるまでは絶対に食べない」という人もいるらしい。
コロナ禍の初め、イタリアで物流が大混乱に陥っていた時、スーパーマーケットの冷凍ピザ売り場では、ほぼすべてのピザは品切れしていた。
でも「あるピザ」だけはまったく売れず、山積みだったという。
「ピザ・ハワイアン」というやつだ。
ドミノピザやピザーラなどでも販売している、トッピングにパイナップルやハムが乗っかっているピザのことだ。
イタリア人から見るとあれは「餓死しそうになるまでは絶対食べない」ものなのだそうだ。
似ているようでまったく非なる食べ物が存在していて、生き死にに関わるまでは絶対に手を出したくないというのは、けっこう普遍的な現象なのかもしれない。