はてなブログは「あざとい」?
他社のブログサービスで運営している別のブログを「はてな」に引越そうか?と考えていた。
その様子見もあって「はてなブログ」でこの雑記&趣味ブログを始めたというのもある。
1か月半を経過して感じること。
それは「はてなブログ」は、ユーザーを維持するため、そして有料サービスへの移行を促すためにさまざまな仕掛けを持っているということだ。
よく言えば「ブロガーのモチベーションを上げる」ための仕掛け、悪く言えば「ブログを読んでもらえている!と錯覚させる」ための仕掛けに長けていると思う。
「読者登録」や「はてなスター」の仕組みもそうである。
悪く言えば「あざとい」と思う。
この仕掛けに気づいてしまった人が書いたブログ記事というのがけっこう存在する。
中には「営業スター」や「返報性スター(ブクマ)」の応酬に疲れて「はてなスター」を外してしまう人もいるらしい。
私は「そこそこ」に考えているのでそこまで気にならないが、真面目な人にはしんどいのかもしれない。
よく言えばこれらの仕掛けには「孤独感からブログをやめてしまう」のを回避させる効果もあるだろうと思うから、人それぞれなのだろう。
記事が「読まれている」かを気にすると...
ブログを始めるに当たって「人気ブログランキング」などのランキングシステムに登録する人も多い。
そうすればブログ開始直後からアクセス数は得られる。
しかし、後々そこから「しか」アクセスがないことが弱点になる。
内部からのトラフィックがメインになるという点で「はてなブログ」も「ランキング」に似ている。
「ランキング」と「はてな」には共通点がある。
それは大多数が「同業者」のトラフィックだということだ。
広告収入を考えている人にはこれはあまりよろしくない。
そしてそうでない人にもあまりうれしくない点があって、それが「読んでもらえているという錯覚」の話だ。
端的に言えば、ブロガー同士のトラフィックでは「エンゲージメント時間(滞在時間)が短い」=つまり、アクセスはあるもののあまり「読まれていない」という現実がある。
だから多くの「ブログ指南」では、検索から流入してもらえる内容を書き続けないと「読んでもらえませんよ」=「儲かりませんよ」と教えるのが普通だ。
ブログの方針を再確認する
しかし、このブログは発端からしてそういう例とは動機が違う。
去年旧ブログを始めた時は開始直後からアクセスが殺到したが、いろいろあって閉鎖したという負の経験を踏まえている。
その結果、今は「自分が書きたいことを書くのが続けばいい!」のが大事な点だ。
ところが、開始後1か月が経った時に変化があった。
私の趣味のひとつは元々、鎌倉時代の和歌だ。
だからカテゴリ「古典と和歌」「文学と読書」にそれらの記事を書いていた。
そもそも「古典」や「和歌」というのは、もっとも「人気のないジャンル」のひとつだと思っている。
しかし「源実朝」「源頼朝」「後鳥羽上皇」についての記事にはアクセスが多い。
言うまでもないことだが、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放送中だからだ。
それも検索サイトからの流入である。
これに伴って「エンゲージメント時間」も大きくアップした。
「検索サイトからのアクセスは滞在時間が長い」というのもセオリー通りだ。
もちろん「はてな」からのアクセスでも記事を読んで下さる方は存在するだろう。
しかし圧倒的に少ないのは事実だ。
(だからこそ、そんな奇特な?いや稀有な方には感謝している。)
アクセス数という「悪魔の誘惑」
そんな折しも「鎌倉殿」関連記事へのアクセス急増という現象。
この『鎌倉殿の13人』効果について、ついうっかり「記事が読まれてうれしい」という感覚に陥った。
更に、
あと1か月半で大河ドラマは終わるわけだから、ここで集中的に実朝や後鳥羽上皇について、もっと記事をアップしたらどうだ?
という心のささやきが聞こえる。
これが「悪魔の誘惑」であるのは間違いない。
数値を意識した途端「書きたいことを書くブログ」というテーマから逸脱し、いつしか「アクセスを稼ぎたいブログ」に成り代わってしまうのだ。
そこからついに「読者を意識したブログ」になり、どんどん自分の本音や心情から遠ざかってしまう。
(「読者を意識しつつ自分の本音や心情を語れる」というのはかなりレベルが高く難しい領域だ。)
さてこの『鎌倉殿の13人』効果だが、いってもあと数か月だろう。
やっぱり何事も「そこそこ」を目指す「プレ老後ライフ」の取り組み方としては「ガツガツ」は良くない。
今後も鎌倉ネタはまったりと「そこそこ」にしておこう。
そう思い直して改めてブログの方針を確認した。
でもちょと考えて、とりあえず次の記事はまた「後鳥羽上皇」にしようと思ってしまった。
「って、悪魔の誘惑に負けてるやん!」と自分でツッコミを入れた。