禁じられた哀愁のプロレスとマンガ

世の中には根本的に話が合わない、というのか、感性がまったく違うなと思う人がいて、得てしてそれが自分の親だったりする。

子どもの頃、私の母親は

「プロレスって、やらせじゃないの!」

と本気で憤慨していた(ように見えた)。

それに反論する手立ても勇気も持っていなかった。

プロレスに心惹かれる思いはあったが、親に「見る価値ナシ」というレッテルを貼られてしまったのは決定的だった。

当時子どもたちの間ではプロレスは人気があったし、プロレスをモチーフとしたマンガやアニメも多かった気がする。

いつも友だちから話を聞いて教えてもらったり、友だちの家でマンガをちょっと読ませてもらったりする程度だった。

プロレスの世界を実感をもって知る機会もなく、やがて大学生になった。

 

大学で、語学や文学の研究に役立てる「プログラミング」の授業というのを何となく取ってしまった。

単位取得の課題は、自分で設定した課題を解決するための「プログラミング」を提出することだった。

私はテキストを「検索」するプログラミングを作成してみたが、どうしてもうまくいかないところがあって困っていた。

するとある友人が「某大学の院生の知り合いがプログラミングの専門だから紹介してあげるよ」と言ってくれた。

紹介してもらった男子大学院生とJR の駅で落ち合うことになった。

当時は携帯電話がないから、初対面の人と待ち合わせるのは真剣勝負だった。

「当日は何か目印が必要だね」と知人が言い、目印にマンガ本(ジャンルは少女漫画だったと思う)を双方持つことになった。

「これ持ってて。」

知人はそう言ってマンガを貸してくれた。

控えめなタッチの繊細な絵の表紙だった。

その2人は複数大学間のマンガサークルの知り合いだったので「お揃い」を持っていたのだ。

 

当日、目印のマンガを手に時間通りに駅の改札口に立っていた。

しかし、待てど暮らせど相手の姿はない。

約束から30分近く過ぎていた。

私は血眼になって、改札を行き来する人々を探した。

ふと、向こうから来る男性が手に何かを持っている。

マンガだった。

「やっと来た!」

そう思って走り出した私は、男性に向かって声を掛けながら、彼が手に持っていたマンガを指さした。

男性が慄くように私を見て身構えた。

その瞬間、相手が手に持ったマンガの表紙が私の眼に飛び込んできた。

 

 

 

キン肉マン

 

それは目印に定められたはずの少女マンガではなく『キン肉マン』だった。

衝撃が大きすぎて、パニックに陥った。

「なぜ打ち合わせどおりの少女マンガじゃなく、キン肉マン?」

千と千尋の神隠し』のカオナシのように「え...? え...?」と言いながら、男性が握りしめる『キン肉マン』を指さし続けた。

相手は怯えた目をしたまま、固まっていた。

でもそれは、約束のマンガが違っていたわけではなかった。

至極カンタンなことだった。

 

人違いだった。

そのことにようやく気付いた私は、ただ平謝りした。

キン肉マン』を手に持った男性は、ようやく「頭のおかしいヤツ」から解放されて、足早に去っていった。

その後10分くらい経って、約束していた人物とようやく会うことができた。

しかし約束のマンガは持っていなかった。

「だって少女マンガなんて手にもってたら恥ずかしいでしょ?」

とすました顔で言っていた。

それじゃ目印がないから、見つけようがないではないか。

でもその後、問題のプログラミングはちゃんとチェックしてもらえて、直したりアドバイスをもらうことができた。

とても優秀な院生だった。

しかしその内容については、さっぱり覚えていない。

今でも覚えているのは、人違いをした男性が握りしめていたキン肉マンの主人公の真剣な表情だけだ。

その時の記憶が甦る度、私はキン肉マンのクソ真面目な絵と、人違いされた男性の恐怖に怯えた顔が交互に浮かんできて、いまだに涙が出るほど笑える。

クソ真剣で、心の底から笑えて、泣ける。

意外とプロレスの本質に近いんではないかと思っている。

これが子ども時代にプロレスにもマンガにも親しむことがなかった私の、プロレス・カルチャーとのほぼ最初の接点だった。

この時の『キン肉マン』事件からずっと後になって、私はひとつのプロレス界の出来事を知ることになった。 

それは2005年、当時お騒がせ有名人として名を馳せ、能楽協会から除名されてしまった狂言師和泉元彌がプロレス興行のハッスルに参戦するという大事件だった。

(つづく)