「二刀流」が許されなかった時代
学生時代、自分の専攻とは違うジャンルにも興味を持っていろいろ手を出していた。
指導教授から、
「ひとつを専攻する(選ぶ)ということは他をあきらめることだ」
とたしなめられていた私は間違いなく「不良学生」だった。
現在では「垣根を越えた」共同研究とかコラボレーションという表現もよく聞くようになった。
でも自分の体験では、昔の日本の(文系の)アカデミズムはそんなオープンマインドで視野の広い世界ではなかった。
ジェンダーはじめ各種差別もえげつなかった。
ナワバリの外に興味を持ったり、足を踏み入れようものなら「学際学」とか言われて、文字通り「キワ(際)モノ」扱い。
結局(氷河期ということもあって)学校での勉強は役に立たず、その後まったく違うことをする人生になった。
でもひとつ言えるのは、生きていくうえで、指導教授の言う通りにしてできることを「ひとつだけ」に絞らなくて本当に良かったと思っている。
「芸は身を助く」ということはほんとうにあると思う。
「二刀流」大谷選手の時代
それから年月が経ち、プロ野球界で「二刀流」の大谷翔平さんのようなスターが出現した。
大谷選手は特別だとしても、次第に世間の風潮も、
「あれこれ手を広げずにひとつのことだけに集中しろ」
と胸を張って指導する指導者や親は減ってきているのではないか。
大谷選手がすごいのは「両方やりたい」と自分の意志でやっていることと、楽しんでいることだと思う。
ジャンルやレベルに関係なく、「意志」と「楽しい」があれば誰でも、掛け持ちでいろいろなことをやるのは悪くないという考えが拡がりつつあるかもしれない。
クラシック界の「大谷選手」
ユリア・フィッシャーさんというドイツのクラシック演奏家がいる。
私はバイオリニストだと思っていたが、ある時ピアニストでもあると知って驚いた。
まさにクラシック界の「二刀流」。
一晩の演奏会でサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番とグリーグのピアノ協奏曲のソリストを務めるという離れ業をやってのけたそうだ。(Wikipedia 参照)
「ピアニストで指揮者」とか「器楽奏者で俳優」とか、そういうかけ持ちはよくあるが、ピアノとバイオリンでソリストというのは他にいるのだろうか?
どちらも練習時間の長さで知られる楽器だから、どういう時間配分で生きているのか不思議に思える。
でも最近また「二刀流」を志す若手演奏家を知った。
ロン=ティボーコンクールの若手ピアニスト
先日の記事でロン=ティボーコンクールのセミファイナルに触れたので、その後アーカイヴで演奏を聴いてみた。
日本の亀井聖矢さんと重森光太郎もファイナルに進んだ。
セミファイナルとなるとほとんどすべての演奏は素晴らしくて、クラシック演奏の選考というのは本当に不思議な世界だ。
馬場馬術にも「芸術点」はあるが、アマチュアが見てもそれほど不明瞭な採点はない。
クラシックのコンクールの当落とか順位は、良し悪しについて推論できる範疇とは別次元に思える。
それはさておき、亀井さんと重森さんはもちろん応援しているが、ファイナリストのひとり、韓国のイ・ヒョクさんにも注目している。
なぜかというと、昨年のショパンコンクールでの演奏を聴いたことがあるからだ。
今回のセミファイナルではイ・ヒョクさんはムソルグスキーの『展覧会の絵』を弾いた。
それを視聴して、この方はやはりショパンよりもロシア音楽の方がしっくりくると思った。
ショパンコンクールでも、2番と3番のソナタの両方を弾き、ノクターンもポロネーズも円熟期の「マッチョ」な作品が光っていた。
ピアノも重厚で深みのある「シゲルカワイ」だった。
イ・ヒョクさんはルックスが明るく素直そうで話し方も爽やかだが、演奏はちょっと違っていて、複雑さ(明るさVS暗さetc.)と力強さ、重層性を感じる。
ショパンの初期の作品2とか2番のピアノ協奏曲は何かしっくりこなかった。
ロン=ティボーではプロコフィエフの2番だそうなので、亀井さんのサン・サーンス5番、重森さんのチャイコフスキー1番とともに楽しみだ。
国際コンクールを渡りながらの「二刀流」
世界レベルの若いピアニストは皆国際コンクールを渡り歩く「死闘」の生活を何年も続ける人が多い。
常人の神経だったら気が狂いそうな日々だと思うが、イ・ヒョクさんもまたピアノとバイオリンの「二刀流」を続けているそうだ。
ご自身の Youtube ではバイオリン演奏も公開していて、メンデルスゾーンの協奏曲を「いつか全曲演奏したいな」とコメントしている。
驚いた視聴者からのコメント、
「いったいどうしたら両方できるの?!」に対して、
「幼い頃から思い入れがあってとにかく大好きだから、バイオリンはこれからも続けたいんだよね」
と答えていて、やっぱり大谷選手みたいだなと思った。
いつかユリア・フィッシャーさんみたいに「二刀流コンサート」をやってほしい。
更にバイオリンの他にも、チェスやコンピュータプログラミングも得意なのだそうで、いよいよ「多趣味界の神」っぽい。
ともあれ、すべてのファイナリストにはコンクールの「死闘」を全力でくぐり抜けて欲しいと思う。