月に数日「書き入れ時」があって、バタバタする。
今月はそこに「サッカーワールドカップ」(日本代表応援)と「大相撲九州場所」(今場所は高安を応援)が重なってしまった。
それに(最近少し雨が多かったが)今の時季は乗馬には最高なので、どうしても外せない。
すると私の頭の中はカオスになる。
この時よく起こる不思議な現象がある。
頭の中にイタリア語が湧き出てくる。
イタリア語との関わりはネイティブ環境だったからではない。
初めて覚えたイタリア語は「音楽用語」だった。
「フォルテ」「フォルテッシモ」「モルト・マエストーソ」など。
でも生来の「語学オタク」だからかもしれないが、
「アレグロ マ ノン トロッポ Allegro ma non troppo =快活に、でも過度にならないで」
というようなイタリア語を見ているうちに、何となく仕組みが分かってきた。
やがて声楽のレッスンを受け始めて、イタリア語の歌曲やオペラのアリアを習った。
ここからどっぷりとイタリア語の世界に入った。
まるっと一冊暗譜すると同時に歌詞(言葉)も暗記できてしまうのが、歌のよいところかもしれない。
でもオペラは昔の音楽なので、台詞も昔の言い回し(単語)が多い。
モーツァルトの『フィガロの結婚』で伯爵夫人が歌う有名なアリアで「camgiare (英語の change)」という単語を繰り返す箇所がある。
だから「change」は「camgiare カンジアーレ」だと思っていたが、現代語では「cambiare カンビアーレ」になると後で知るようなこともよくあった。
イタリア人の先生にニヤッと笑われたからきっと「~でござる」のみたいな感じかもしれない...
声楽の他、ティーンエイジャーの頃から古いイタリア映画をビデオが擦り切れそうになるまで繰り返し見ていた。
主にコメディで、マルチェロ・マストロヤンニという昔の俳優がドタバタする喜劇だった。
子どもの頃からイタリア語に親しみ、ちゃんと学校には行っていないが何度か先生に習った。
でもこうして覚えたイタリア語は、英語の習得にとっては妨げになってちょっと辛かった。
ちょっとだけ似ているけど全然違う言語、というのは厄介だ。
英語が堪能な人がフランス語が習得しづらいのもこれと同じ現象だと思う。
私の場合、イタリア語とフランス語は声楽を通して「音」として記憶している部分が大きい。
イタリア語の新聞記事レベルになると難しく感じるので、やはり語彙が足りないのは分かっている。
(それでもちょっと難しい英単語と語幹が同じものは多い)
比較的やさしい話になると、イタリア語だけでなくスペイン語やポルトガル語も分かる時がある。
ポルトガル語の方は読む方が、スペイン語は聞く方が分かりやすく、どちらもフランス語とイタリア語の「親戚感」がある。
そんな具合で、私のイタリア語は「微妙な」レベルなのだが、「非常時」に頭に浮かんでくる言語らしいのは確かだ。
今のようにバタバタして頭の中がとっ散らかっている時は、なぜかイタリア語が脳内に広がる。
原因を考えてみたが、きっとオペラとコメディ映画のせいだ。
オペラの物語ではいつも
「たいへんだ!」「どうしたらいいだろう!」
みたいに事件が起きてドタバタしている。
事件が起きないオペラというのはほとんどないだろう。
だから記憶している言い回しも慌てている表現が多いのだと思う。
ドタバタ=イタリア語
という回路が私の脳内で出来上がってしまったのではないか。
以前、防水仕様ではなかった頃の IPhone を水没させた時もそうだった。
Appleショップで「大丈夫ですよ」と言われるまで、ずっとイタリア語が頭に響いていた。
私の場合、マルチリンガルといっても適当な言語もあるが、あまりレベルが高くない言語でも「夢」を見ることはある。
夢の中で、私は誰かに向かってイタリア語で喋っている。
すると相手からイタリア語で難しいことを言われる。
するとやっぱり夢の中でも少し分からない所があって困っている自分がいる。
ちょっと悲しい...