ノスタルジックなショパン ー Google翻訳の限界点

"We could talk about Chopin all day. In a few words I think he was noble, nostalgic, shy, patriotic."

2021-10-21
Bruce (Xiaoyu) Liu: ‘The most difficult thing in being a pianist is to keep the freshness, inspiration, and creativity’
© Narodowy Instytut Fryderyka Chopina 2020

上は2021年に開催された第18回ショパン国際ピアノ・コンクール優勝者Bruce Xiaoyu Liu 氏のコメントの冒頭部分である。

ショパンコンクールを始め、主要な国際的ピアノコンクールの特設サイトでは主に開催国の言語(同コンクールではポーランド語)と国際語としての英語による表記が併用されている。

★コメントの全文(英語)

chopin2020.pl

日本人がこうしたサイトを閲覧する場合、英語が得意ならそのまま読むがそうでなければ翻訳ソフトウェアを使うことになる。

インターネット上で現在最も幅広く手軽に使われているのはGoogle 翻訳であろう。
他にも翻訳ソフトはあるが大同小異である。

上記のインタビューの原文(英語)は本文のみで284語である。
これをコピー&ペーストしてクリックすれば秒殺で「英語→日本語」になる。
それもざっとみたところかなりちゃんとした日本語になっている。

Google利用規約によりデータが意図せず保存されたり利用されたりする恐れもあるため、ビジネスで取り扱う文章を安易にGoogle 翻訳にかける人はまずいないだろう。

しかしインターネット上で公開されているような情報であれば、気軽に翻訳できるので便利であることは言うまでもない。

これが10年前だったらこの技術のあまりの精度の低さにため息をつくか笑い出すのが常だった。
しかし数年前頃からGoogle 翻訳は著しく進化した。

ある意味下手な翻訳者よりも上手いかもしれない。細かさにこだわらない大抵の文章ならこれで事足りると言えるだろう。

けれどもそれでもなお言語間の壁は完全に取り払われたわけではない。

実は目に見えない透明な壁が存在しているのに気付かず大切な意味を見落としていることもあり得る。

本稿ではこの短いインタビューをかなりうまく翻訳したつもりのGoogle が現時点(2021年12月)(★2022年10月)でまだ気づいていないいくつかのそうした壁について述べたものである。 

【目次】

本文では上記の 1 ~ 7 の項目について、冒頭に挙げたインタビューに使われた具体的な語彙(Google 翻訳のアウトプットの一部)について論じる。

今後の時代に人間の作業としての「翻訳」に興味をもったり、または「翻訳者」というものになりたいと思う人が存在するのかどうか分からな
い。
未来は「完全に」AI が翻訳することになるのが当然の趨勢だからだ。

けれども少なくとも現時点では、AI はかなり完璧に近いようなアウトプットをしているように見えて、実はそうでもない部分がある。
安易に AI 翻訳を信じていたら大切なことを見落としてしまったり、誤解していまうようなこともある。

本稿では一番最後に、このインタビューにおいて AI 翻訳がどんな大切な点を見落としているか筆者の感想を述べている。

(尚、Google 翻訳の性能は日進月歩変化しているため、筆者が本稿で用いているアウトプットはその後のそれとは異なっている場合があるのでご了承いただきたい。)


1.複数の意味を持つ単語の処理の問題点

"We could talk about Chopin all day"

同上(第1パラグラフ)

いきなり冒頭から「拙い翻訳」が出てくる。

「could」について Google 翻訳は次のように変換する。

ショパンについて一日中話すことができました。」

"could" について「可能」を意味する "can" の過去形として「~することができた」と採用しているからである。

しかし当然ながらこれは間違いである。

これは "We could do ~" という形で「~したい気がする」という「願望」を表す表現であるから、

ショパンについて一日中話していたい気がします。」

というのが正確な日本語になる。

"could" という助動詞の意味は上述の2つ、つまり「可能」「願望」を含めて十数項目以上存在する(ちなみに『英辞郎 on the web』では13の意味を定義している)から、その中から文脈に応じて相応しい訳語を提示するのがまだ難しいのかもしれない。

だがこの一文の処理にはAI 翻訳の優れた点も見つけられる。
それは総称人称「we」を訳していない点である。

この「we」は、話し手も聞き手も含む「みんな/誰でも」を意味するので「私たちは」を入れるのは逆に不自然になる。
そのため自然な日本語の文としては削除されるのが普通である。

 

2.間違いではないがより適切な訳語でない場合

"They follow the Competition really closely,"

同上(第2パラグラフ)

「彼らは競争に非常に密接に従い」(Google 翻訳)

1行前の "Competition" は「コンペティション」と訳しているが、なぜか次の行では「競争」となっている。
おそらく同一の文書内で整合性を取る機能がまだ完成していないのだろう。

日本語話者の中には「コンペティション」という語に抵抗のない人もいると思われるが、ここでは「ショパン国際ピアノコンクール」という日本語の表記どおり「コンクール」という語を用いるべきである。

コンペティション」はデザインや建築など芸術における作品の選考会などでも使用が定着しているが、音楽(演奏)に関しては「コンクール」というフランス語が該当する方が日本語としてなじみがよい。

芸術のジャンルによって「コンペティション」か「コンクール」のいずれの語がふさわしいのか決まるが、これは日本語の慣習に従っている。

"follow" の意味は「従う」だから訳としては正しいのだが、現在では「フォローする」という言い方が広く定着している。

話者の年齢属性等からも「フォロー」の方がふさわしいと判断される。

「彼らはコンクールに本当に寄り添ってフォローし」

という日本語を提案したい。

"You might play the same thing, (中略)diffferent ways of playing it."

同上(第4パラグラフ)

「play」を含む文は次のように処理されている。

「同じことをプレイするかもしれませんが、(中略)異なるプレイ方法を見つけることができます。」(Google 翻訳)

言うまでもなく「ピアノ」の話をしているわけだから「演奏」が正しい訳語になる

「プレイ」とだとゲームかゴルフの話を連想してしまう。

「同じ作品を演奏をするかもしれませんが、(中略)異なる演奏方法を見つけることができます。」

わずか数行前に "pianist" という単語が使用されているにもかかわらず「ピアノ」に対する正しい表現を採用することができていないことから、AI がまだ文脈を完全に掌握できていないことが分かる。

 

3.総称人称の処理における問題点

"Maybe they'll hate you, maybe they'll like you."

同上(第2パラグラフ)

「多分彼らはあなたを憎むでしょう、たぶん彼らはあなたを好きになるでしょう。」(Google 翻訳)

ここで使われている「you」は「あなた」の意味ではない。
1 に書いた「we」と同じ意味、つまり「みんな/誰でも」を意味する総称人称である。

また①総称人称である目的語(あなた)を省略すると動詞「憎む」の主語が妙に目立ってしまうのを避けるため

②日本語では主語は省略されることが多いという特性を生かすという2つの点を考慮して、能動態を受動態に改変すると自然な日本語になる。

「彼ら(ショパンのファン)からは嫌われしまうかもしれないし、好かれることになるかもしれません。」

という訳文を提案したい。

Google 翻訳の性能としてまだ不安定なのは、冒頭1のケースでは総称人称「we」をきちんと省略してるのに、ここのケースでは処理できていないというばらつきがある点だ。

 

4.日本語における代名詞の処理

"So, this is what makes it really special."

同上(第2パラグラフ)

「だから、これがそれを本当に特別なものにしているのです。」(Google 翻訳)

英語としてはごく普通なのだが、そのまま日本語にすると「これがそれを」という言い方はおかしい。

まるで認知機能が低下して固有名詞が思い出せなくなったかのような表現だ。

よくありがちな「その話をしてた、ほらあの人!」というようなケースだ。

この場合はひとつ前の「情熱にあふれた人々」を "this"「これ」 で受けて代名詞のまま使い、二つ目の "it"(それ)をあえて「コンクール」と読み替えるとわかりやすい。
それをふまえて次のような訳文を提案したい。

「だから、こうしたことがコンクールを本当に特別なものにしているのです。」

代名詞を畳みかけるように使わないことは自然な日本語にとって大切だが、日本語の性質をよく理解した上で適宜代名詞を間引きしたり調整するのは AI にはまだ難しい作業かもしれない。

 

5."I think he was nostalgic" の訳文の問題点

"In a few words I think he was noble, nostalgic, shy patriotic."

同上(第1パラグラフ)

「一言で言えば、彼は高貴でノスタルジックでシャイな愛国者だったと思います。」(Google 翻訳)

実はこの本稿タイトルにも用いた "nostalgic" という語こそ AI 翻訳が越えることが難しい難所だと筆者は考えている。

もう一度原文に戻ってみよう。

"He was nostalgic."

人間(翻訳者)でもこの文を翻訳する場合、英語に精通し熟練していない限り

「彼はノスタルジックでした。」

というような訳文にしてしまうケースが多い。

商材などの説明文にこうした雑な訳文が使われていたら企業のブランド価値が棄損されると激怒するとしても不思議はない。

その理由について説明したい。

それに先立って、まず正しい訳としては

「彼は郷愁の念にかられていた(思いを抱いていた)。」

となる。

"nostalgic" という語は次のように定義されている。

”having or bringing a sad feeling mixed with pleasure when you think of happy times in the past” 

Oxford Advanced Learner's Dictionary

「過去の幸福な時を思う時に喜びの混じった哀しみを抱く、またはその感情をもたらすこと」

英語で話している時相手が

「この映画を観ていて"nostalgic" になった」

とか

「"nostalgic" な風景だなあ」

などと発言した場合、話者は "sad feeling" の感情が基調となっている。

だから、もし上記のように話しかけられたなら

「へえ、そうなんだ」

と返事をすると相手の気持ちを軽視していることになるし、

「そうだね(同意)」

などと言ったら的外れな回答になってしまう。

もうちょっと相手の感情や心に踏み込んで寄り添う配慮が必要だろう。

すでにお気づきかもしれないが、上記の日本語の「ノスタルジック」という語は英語の "nostalgic" とはかなり意味が違う 。

最も重要なのは "sad"(哀しみ/悲しみ)の感情の有無という点だ。

日本語で「ノスタルジック」という時、この感情が込められているケースのほうが少ないだろう。

例えば、20代の若者が「昭和レトロ」な喫茶店にたまたま入ったとする。そしてこう言うかもしれない。

「ノスタルジックな雰囲気だね」というような使い方をする場合を想定してみる。

もちろん喫茶店に限らず「ノスタルジックな音楽」でも「ノスタルジックな映画」でも同じことだ。

若者が「ノスタルジック」だという時、彼(彼女)はどのような「過去を追憶して哀しさ」を抱いているというのだろうか?

そもそも平成以降の生まれなら昭和時代の想い出など存在するはずがない。

この時話者は「ノスタルジック」という言葉を「失われた自分の記憶と哀しみをよみがえらせる」という "nostalgic" という語本来の意味で使っていない。

単に「昔懐かしいような雰囲気」という意味合いで使用しているのだ。
つまり「レトロ」(retrospective, retro) に近いニュアンスとなる。

では厳密に「ノスタルジック」と「レトロ」の違いは何だろうか?

それは主観にまつわる感情の有無と程度の違いだ。

いずれも形容詞としては主観形容詞ということになるだろう。
(対する客観形容詞とは「大きい」とか「高い」など客観性を持つものを指す。)

しかし「ノスタルジック」は感情 MAX とも言えるほどの強い感情(話者の主観)を伴う。
対して「レトロ」はそのように判断(認識)しているのは話者の主観ではあるものの、強い感情を伴っていない。


さて、"nostalgic" という英語が「ノスタルジック」という日本語として使用された用例は次が最も古いようだ。

「寒月の隈なく照り輝いた風のない静な晩、その蒼白い光と澄み渡る深い空の色とが、何というわけなく、われらの国土にノスタルジックな南方的情趣を帯びさせる夜、(略)」

霊廟(1911) 永井荷風

永井荷風はフランス語、フランス文学に精通していた文学者だからおそらくフランス語の "nostalgique" をそのままカタカナにして使用していたであろうことが推測できる。

「ノスタルジックな南方的情趣」

と表現しているが、永井荷風は東京・小石川の出身で、経歴を調べてみても過去に「南方」の異国で生活をしたという事実はない。旅行ですら訪れたことがあるのかどうか確認ができない。

ちなみに「霊廟」というのは増上寺徳川家宣公の霊廟のことである。
永井荷風は自分の故郷、ほとんど地元と言ってもいい場所に佇んで感興を述べているのだ。

つまりここでも「ノスタルジック」は「失われた故郷への記憶と強い感情よみがえらせるもの」という意味では全くなくなっており、やはり単に「昔懐かしい雰囲気」というニュアンスになっているのである。

永井荷風以降の用例を見ても英語と同じ意味合いで用いられているのを見つけるのは難しい。

それはどうしてか?という疑問への答えは比較的簡単に想像できる。

日本には、ショパンのように故国(故郷)を離れたまま二度と帰ることができず望郷の念にかられながらノスタルジーにとらわれた人がいなかったということである。

安土桃山時代まで遡れば、キリシタン大名だった高山右近はフィリピンに流刑になってかの地で没しているから真の意味で「ノスタルジック」だった可能性はあるが、それを確かめる術はない。

あるいはもっと古い時代、大宰府隠岐の島にそれぞれ流刑になった菅原道真後鳥羽上皇も「ノスタルジック」だったかもしれない。

しかし、永井荷風が "nostalgique" というフランス語を取り入れ、英語やフランス語の文献が次々と翻訳されていった明治時代以降に故郷を喪失する運命をたどった日本人はあまりいないだろう。

そのような理由から日本語の「ノスタルジック」は望郷に関する具体的な記憶、哀しみの感情を伴わない「懐古趣味」という意味として流布したと想定できる。

まとめると、英語には "nostalgic" という言葉があり、それに対応する語として日本語には「ノスタルジック」という言葉がある。
だからAI はそれを上辺だけすくって置き換える。

けれども言葉にとって最も大切な「意味」という点では、両者の間にはずれが生じている。

その結果が

ショパンはノスタルジックだった」

という何となく見過ごしてしまうような、でもよく意味を考えてみると分かるような分からないような妙な日本語表現が生まれてしまう。

AI 翻訳の将来は現時点におけるこのような限界を克服することができるだろうか?

 

6.日本語表現としての精度と繊細さの課題

"~ someone with a very passionate inner side and a big heart,"

同上(第1パラグラフ)

"I think what makes this Competition unique is ~"

同上(第2パラグラフ)

まず「心に情熱を持ち大きな心を持った人であり」(Google 翻訳)については、「大きな心」は間違いとまではいえないし、最近は「ビッグハート」とそのままカタカタにして使用されることも多く不自然ではない。

しかし話者の属性にある種のイメージ(「ビッグハート」という表現は話者が軽いタイプの人間というイメージ)を与えることになるので、一般的には「広い心」「寛大な心」という訳語を用いるのが無難だと言える。

また「このコンペティションのユニークな点は~」(Google 翻訳)については「ユニーク」も間違いではないが、現在のところすべての日本人が「独自である」という意味で「ユニーク」という言葉を理解しているとは言えない。

例えば高齢の読者を想定する場合「ユニーク」を「おかしな」と言う意味で理解しているケースも一定数存在する。

外来語でカタカナ語の場合、例えばよく知られる英語の "tension" (=緊張、不安)と日本語の「テンション」(=気分)のようにまったく意味が異なるケースや、前述した "nostalgic"「ノスタルジック」 のように気づきにくいが実は意味にずれがある場合が多い。
そのため、訳語としてカタカナ語を選択するのは慎重な方が無難である。

上記2か所については

「このコンクールの唯一無二な点は~」または「このコンクールの比類ない点は~」

などの訳語が適切かと思う。

 

7.翻訳が損なう原文の多義性

"I think my way of preparing was ~(略)"That was the way for me."
"I was thinking about how I can improve my way of working, and maybe the way to improve is to leave it for a while (略)"

同上(第3パラグラフ)

「私の準備方法は~」「それが私にとっての道でした。」「どうすれば自分の働き方を改善できるかを考えていたのですが、改善する方法はしばらく放置して(略)」(Google 翻訳)

ここでは原文の「way」がそれぞれ「準備方法」「私にとっての道(のり)」「自分の働き方」「改善する方法」と訳出されている。

"way" は "my way" の形だと「やり方」という意味になることが多い。

これらに適切な訳語を振り分けていることは AI 翻訳の高い性能を示している。
唯一「働き方」については「取り組み方」と訳す方が文脈上はより適切な日本語である。

話者はパリ生まれ、モントリオール育ちのフランス語(ケベックフランス語)のネイティブスピーカーで、英語は第2外国語という位置づけになるようだ。

英語のネイティブスピーカーであれば、普通はこれほど連続して同じ単語を使用するのは避ける(通常はパラフレーズする)場合が多いのだが、非ネイティブの英語であるため "way" の連続使用が見られる可能性がまず考えられた。

けれどもよく見ると"my way", "the way", "my way", "the way"  とリズムを刻むように反復しているため、話者が意図的に同じ語を繰り返してしる可能性が考えられる。

ところで2つ目の"That was the way for me." は文脈上からは

「私にとっての方法」
「私にとっての道のり」

どちらの意味でも通る。

そもそも「道」とは、物理的な「道」という意味から比喩的、象徴的な「道のり」からさらに発展して「方法」という意味に広がったものだ。

そこから考えると話者は"my way", "the way" と繰り返しながら、言葉の多義性を生かして意味上「方法」「道のり」のどちらとも取れるような仕掛け(言葉遊び)をしている可能性が考えられる。

このような場合、それぞれの翻訳は正しい意味であっても、話者が意図的に込めた可能性が高いダブル・ミーニング(掛言葉)は失われるしかない。

 

8.まとめ

以上、1~7の各項目において冒頭で紹介したインタビューの英語テキストを Google 翻訳が処理して生成した日本語テキストの翻訳品質について、7つの着目点から検討した。

繰り返しになるが、AI 翻訳は便利なツールである。
全く理解不能な外国語を一瞬で自分の母語に変換してくれる。

けれども、やはり根本的な問題がある。

そもそも自分にとって「理解不能な外国語」が本当に正しく翻訳されているのかどうやって判断できるのか?という点だ。

それらしい日本語、ぱっと見きれいな日本語になっていたら「正しい」と言って良いのだろうか?

実際には「何となくわかれば良い」という人も多いかもしれない。

けれどもその「何となく」の部分が実は間違っていたり、ニュアンスが大きく違っていたりしたらどうだろう?

「似ているように見えるけれども実は全然違っていて、自分はそのことに気づいていない」

筆者はこの状態はあまり心地よいとは感じない。
何だか AI か Google 社に騙されているような感覚すら抱く。

いっそのことまったく何もわからない方が幸せなのかもしれないとすら思う。
それは言い過ぎではないか?と思う方もいるかもしれない。

しかしやはり AI は大切なものを見落とし、削り落としているのだとあえて言いたいと思う。

本稿で最初に提示したAI 翻訳がどんな大切な点を見落としているかについての筆者の考えはシンプルだ。

AI 翻訳はまだ人間の感情("nostalgic" =郷愁の哀しみ)やユーモアのセンスを見落としている。

人間性や感情が削ぎ落されてしまってもやはり AI 翻訳は便利だと信じたいと思うだろうか?

それでも AI は着々と進化し続ける。

いずれはダブル・ミーニング(掛詞)などのレトリックも適切に訳しつつ、言葉の意味の襞のひとつひとつも攻略し尽くすのかもしれない。

そんな将来が楽しみのようにも、少し怖くもある。

(了)

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