映画『Swallow/スワロウ』とはっきりモノが言えない日本人

氷河期世代はよく「究極の貧乏くじ世代」と言われる。

あまりにも艱難辛苦が多かったせいか、人格形成にも大きな影響がある場合が多い気がする。

世代ごとのステレオタイプな「性格」が本当に存在するのかどうかわからない。

それでもわれら氷河期世代は「バブル世代」と「ゆとり世代」とは全体的な傾向がかなり異なると認識されていると思う。

 

氷河期世代としては、世間から言われる「性格が悪い」といった「悪口」に首肯できる点は多々あると思う。

逆に他の世代の「特徴的な」言動が気になる部分もある。

よくあるのは「グイグイくるバブル世代」かもしれない。

先日、この世代の男性と女性に同時に会った。

男性の方は「グイグイ教えたがり」で、女性の方は「グイグイ聞きたがり」だった。

男性はかつて所属していた大企業名を自らペラペラ話し、女性は仕事の関係で知りたい情報を得ようとガツガツしていた。

彼らにグイグイ来られて思わず引いてしまったのは、自分だけではなかった。

2人のバブル世代がグイグイしている様子を、周囲の氷河期世代が生暖かく見守っている(そして関わらないように警戒している)という構図。

最終的にはバブル同士が仲良くやり取りして、円満に収まってめでたしめでたし。

 

氷河期世代から見たバブル世代はそんな感じだと思うが、逆に「良いな」と感じる面もある。

それは「氷河期世代より率直に意見を言う」傾向が強い気がすることだ。

ドン引きされようが、物おじせずモノをはっきり言う。

自分自身、子どものころから日本に住む日本人の友人たちについて「はっきりモノを言わない人が多いな」と感じていた。

同世代(氷河期世代)の人たちに、特に自分の意見を言わない人が多いのだ。

このモヤモヤした感じは、欧米では感じたことがほとんどなかった。

どんなに一見おっとりしておとなしそうなイギリス人でもパラグアイ人でも、意見を求められた時にははっきり自分の考えを述べる人にしか会ったことがない。

 

「どうして多くの日本人はきっぱりと意見を言わないのだろう?」

この謎の答えを得られたような気持ちにさせたのは、最近見たアメリカ・フランス製作の映画『Swallow/スワロウ』という映画だった。

食べ物以外の物体を飲み込む「異食症」の女性を描いた映画だ。

この映画の主人公は、アメリカ人女性としては目を見張るほど「自分の意見を言わない」。

でも「日本人の女性だとこういう人めっちゃ多いな」と思わず納得してしまった。

「なんでそこでハッキリ言わないんだよ?」と観ている方がジリジリしてしまう場面が実に多い。

こんなにも「自己主張しないアメリカ人」を見たのは(映画ではあるが)初めてかもしれない。

演じているヘイリー・ベネットの表情も絶妙にふわーっと「あいまい」でおとなしいのが、日本人っぽいと思った。

でも主人公がそれほどまでに「モノが言えない」性格になったのには、異食症になったのと同じく原因がある。

ネタバレにならない程度に書くと、それは過去のトラウマと「抑圧」のせいだ。

 

この映画を見て、モノをはっきり言わない日本人はやっぱり「抑圧」を感じていることが多いのではないかと思った。

「抑圧」って目には見えない。

けれども確実に「空気」とか「圧」という形で存在している。

『Swallow/スワロウ』の主人公は「専業主婦」なのだが、日本は現在でも専業主婦が多いことで知られる国だ。

主人公の夫もよくある「モラハラ夫」に近い思考で、支配者的だと感じる。

モラハラ夫に対してモノが言えず耐える専業主婦という構図には既視感がありすぎる。

「モノがはっきり言えるかどうか」を「抑圧」というキーワードから考えてみると、私が昔から抱いてきた「氷河期世代はハッキリ考えを言わない人が多い」という感覚も、ここに関係がある気がしてくる。

自信過剰な支配層だった団塊世代による「抑圧」に、いわゆる「自己責任論」による「抑圧」。

氷河期世代はこうした抑圧に苛まれてきた人が多いと感じる。

 

「ダラダラ長いけど、結局何が言いたいのかわからない日本語を話す(書く)人」

という現象もこれに似ているのかもしれない。

若い頃、英語やフランス語で仕事をする中で「文章というのは短ければ短いほど良い」ことを経験した。

「私はこう思う。なぜなら...だからだ。ゆえに...だ。」

数学の証明くらいスッキリしている。

忖度せずモノが言えるというのは、幸せなことなのだと気づかされる映画だった。

「自分の考えをはっきり言える」かどうかは目には見えないことだけども、実は自我を維持する上ではすごく大きな要因なのだろう。

決して、お金で買えるモノではない。

だから『Swallow/スワロウ』の主人公は、自我を取り戻したことによって「夫=金」を捨てることに成功したのだと思う。

日本人のようなふんわりした顔つきに見えた主人公が、最後にはアメリカ人らしくキリっとした表情になっている演技力がすごかった。