バブル時代に聴いたブーニンのピアノ

以前ピアニストのスタニスラフ・ブーニンについて記事を書いた時、書こうかどうか迷って書かなかったことがある。

それは、私がブーニン氏ご本人を見かけた時の話だ。

ピアノのリサイタルとか、音楽が関わる場所ではない。

どこかというと、自転車に乗っていた時だった。

ブーニン氏が東京にも住んでいることはかなり知られていると思うが、具体的な地名は控えたい。(ただ私は相当な距離をチャリで移動する人間ではある。)

しかし自分にとっては「チャリを漕いでいる」というシチュエーションとスタニスラフ・ブーニン氏というのは、想像したことのない組み合わせだった。

なぜかというと、ブーニン氏は子供の頃の私にとって「現実離れした存在」だったからだ。

おまけに当時の私は「シベリア鉄道」に憧れていたのもあり、ロシア語の入門を勉強していてロシアに興味を持っていた。

とにかく一時期、強烈に憧れる存在であったと思う。

 

このピアニストに魅了されていたのは、しかし、1985年のショパン国際ピアノコンクールの様子をテレビで見てから、リサイタルでピアノを聴いた1987年までの間だった。

1986年の初来日公演の時はすでに「ブーニン・フィーバー」が巻き起こっていて、リサイタルのチケットは私の元にはめぐってこなかった。

ようやく生で聴くことができたのは、記憶が不確かではあるが、その次の公演だからおそらく翌年の1987年だと思う。

前にも記事に書いたが、ブーニン・フィーバーは当時かなり老若男女にわたる現象だったと思うのだが、圧倒的な存在感があったのは女性ファンだった。

私がリサイタルに行った時も、ただならぬ熱量の女性の長蛇の列に圧倒されて恐怖を感じるほどだった。

それで、肝心の演奏の話なのだが、私の目と耳にはブーニン氏の演奏は「期待」を超えることはなかった。

記憶の中では、彼はまるで目には見えないけれども非常に強固な「透明カプセル」の中に入って演奏しているのではないか?と感じた。

異様なほどの熱量(フィーバー)を注ぐ観客に対して、まるでそんな人々が客席に存在していないかのような顔をしているように感じたのだ。

ひたすらピアノにのめり込むように集中し、ショパンを弾き、動く人形のように立ち上がりお辞儀をしている。

あの猛烈テンポの猫のワルツをはじめ、ショパンを披露する姿は、まるでロシア産の巨大な宝石が詰まった宝石箱を開けて愛でているように見えた。

でもなぜか「テレビで見たショパンコンクールの人と同じ人のように見えるが、別人なのではないか?」

と感じていた。

現代的に言えば「AI」搭載の「アンドロイド」ぽく感じたのだ。

個人的には、客席は異様に熱狂しているものの、自分自身は熱狂しなかった。

子どもだからという理由ではないと思う。

ステージと客席の間との「コミュニケーション」も存在しないと感じた。

ただ、それはブーニン氏のリサイタルだけの話でもない。

 

当時はバブル時代で、クラシック音楽の公演全般、チケットの価格が高い公演の、価格の高い席から先に完売していた時代だった。

「ぜいたくな消費に耽溺すること」が時代の流儀だったし、バブルに浮かれた大人たちはいつもご機嫌で、ブーニン・フィーバーに限らず、ほとんどいつも「フィーバー」だったのだと思う。

だから、実際に聴く演奏がどうかというよりも、ただブーニン氏のリサイタルだというだけで「熱狂」していた部分が大きい気がする。

私はスタニスラフ・ブーニンの最初の日本公演が聴きたかったし、それを聴くことができたらもっと別の感想を持ったかもしれない。

でも実際にはすでに「ネームバリュー」だけでお祭り状態が再生されるようになった頃の公演だった。

ずっと後になってから知ったのだが、ブーニン氏はショパンコンクールの後か、それとも最初の日本公演の後かに、ロシアにおいて婚約者と死別したという話を聞いた。

そんな悲劇を思えば、熱狂の日本公演ツアーの間も、私的な心境としては非常に辛いものであったのかもしれない。

自分だったら、それこそ「透明カプセル」に閉じ込もっていなければ、存在していられないような気持ちだと思う。

 

念願叶って行くことができたリサイタルだったが、その後、ピアノより声楽を習い始めたのもあり、ブーニン氏の演奏を聴きたいとは思わなくなっていった。

ブーニン氏の後、次にショパンコンクールが優勝者(=フィーバーの対象)を生んだのは15年も経った後のユンディ・リ氏だった。

この2人について、私は2000年代のある時期からすっかり動向を耳にしなくなった。

何となく私が考えたのは2人の共通点だった。

それは「ピアノ教育熱心な母親の薫陶」という点で、もしかしたらこの2人は幼少期から否応なしにピアノを強制されたことによって自発性を失ってしまったのか?という仮説もよぎった。

それからかなり年月が流れて、再びブーニン氏のことをインターネットで知るようになったのは「ファツィオリ」のことでだった。

私が興味深々だったファツィオリ社のコンサートグランドを、ブーニン氏が自宅に所有していると聞いてますます興味を持った。

自分の平凡な日常生活の中にいながら(驚くべきことに)あのブーニン氏の姿を見かけたのはこの後の頃だった。

子供時代の「カリスマ」を、何十年も経って「そこらへん」で見たというのはある種、宇宙人に出会った、とか、時空を超えたような不思議な感覚があった。

 

さてこの2人のショパンコンクールの優勝者は、実際にはそれぞれ色々たいへんな状況だったということだが、ブーニン氏は今年ようやく復活コンサートを開催するようだ。

そこまでの道程を描いたのが、昨年放送されたNHK の番組だった。

しかし NHK が制作するこの手のスペシャルには正直、辟易する面もある。

「困難な闘病」「妻の献身」「奇跡の復活」

こうした「感動的」なキーワードで「お涙」もとい視聴者の注目を集めることが、NHK は大好きだ。

私は佐村河内守氏の事件の時も、リアルタイムでNHK スペシャルを見て「大ウケ」してしまった口だが、まだも懲りずに同じような曲調を繰り返したいらしい。

何より「お涙ちょうだい」ストーリーをくっつけなくても、「ファツィオリを弾くスタニスラフ・ブーニン」というだけでもう十分に魅力的だと思うのだ。

今年、リサイタルに行けたら私にとっては36年ぶりということになるので楽しみだ。