2022年秋からNHK交響楽団の首席指揮者に就任したファビオ・ルイージ氏。
私は専らバロック音楽が好きなのでこのジャンルにはあまり詳しくない。
それでも(バブル時代だった)子どもの頃はちょうど業界から故ヘルベルト・フォン・カラヤンの影響力が排除され、ウィーンフィルやベルリンフィルを刷新することになった故クラウディオ・アバドの時代だった。
このアバドさんがすごく好きだった私は、子どものくせに、ウィーン・フィルの来日公演を一人で聴きにいったりしていた。
ピアニストだったファビオ・ルイージ氏が指揮者を志すきっかけになったのが、クラウディオ・アバドなのだそうだ。
そんな話を、NHK(Eテレ)の日曜日夜の番組で放送していた。
ルイージさんが就任してから、たびたびテレビでN響の演奏を聴いている。
ドボルザークの『新世界』の時は、相方がじっと聴いていた。
相方は元々クラシック音楽にはそれほど興味がない人間だった。
しかし私の「付き添い」として、これまで多くの「名演奏」の聴衆になってきた。
それでファビオ・ルイージ指揮の有名な『新世界』を聴いて、驚くほど「明るくて軽快だ」と感じたらしい。
たしかに私も『新世界』はもっと「土臭く太い」イメージを持っていた。
固定観念に反した「明るく軽快な演奏(una prestazione chiara e leggera)」を堪能した。
また別の日にはメンデルスゾーンの『スコットランド』の演奏が放送された。
私はこの曲が好きだ。
メンデルスゾーンがスコットランドを旅行した際に得たインスピレーションから作曲されたと言われ、この作品の他にその旅行の産物として『フィンガルの洞窟』がある。
私は無類のスコットランド好きで「フィンガルの洞窟」にも行ったことがある。
近くの島から小舟で行くのだが、自分史上最悪の船酔いになった。
それでもスコットランドが好きだ。
007シリーズに『スカイフォール』という作品があるが、そこに出てくるスコットランドの風景にも既視感と愛着がある。
過去生のいつか、きっとスコットランドで生きたことがあるのだろうと思っている。
ファビオ・ルイージの『スコットランド』は、「外国人から見たスコットランドの雰囲気」がふんだんに感じられた。
イタリア人のルイージ氏は、メンデルスゾーンの他のドイツ音楽にもレパートリーが広く、ワーグナーも定評があるようだ。
一番最近聴いた(観た)のは、イタリアの巨匠ヴェルディの『レクイエム』。
この作品の中の「怒りの日」は、クラシック音楽に興味がなくても、聴いたことがない人がいない程有名だ。
↓これはフリッツ・ライナー指揮ウィーンフィル
実は、私はこの巨匠の音楽はあまり好きではない。
というより、眠くなってしまうのだ。
ヘンデルやモンテヴェルディがぶっ通し3時間であっても一瞬たりとも眠くならない。
しかしヴェルディは眠い。
ワーグナーも作品によっては眠くなるのがあるが、寝落ちしてハッと起きてもたいして話は進んでいないから大丈夫だ。
さて、ヴェルディの『レクイエム』。
聴き始めてしばらくすると、ウトウトしてくる相方と自分。
時々再現される「怒りの日」のテーマがくる度に、ガッと目が覚める。
「おい!起きろよ!」と言わんばかりの目覚まし効果。
寝落ちと覚醒を繰り返した『レクイエム』の演奏の後、ファビオ・ルイージ氏のインタビューが放送された。
そのイタリア語の、音楽同様にきれいで明瞭なこと!
chiara / chiaramente =clear, clearly 明るい、明るく
という言葉がぴったりはまるイタリア語だった。
それもゆっくり、丁寧に話してくれる。
「chiara / chiaramente 」であることのひとつの条件は「明瞭」であると同時に「簡潔」でもあることだと感じる。
イタリア語はかなり忘れてしまったが、ルイージ氏の語りは一字一句、文字となって脳裏にイタリア語字幕が浮かぶ。
シンプルな語りだが、きちんと大事なことが伝わってくる。
若い頃は指揮者っぽくない風貌から「痩せたバンカー(銀行家)」とか言われたこともあるらしい。
多趣味な人で、中でも香水の「調香」が一番の趣味だという。
この香りにこれを加えて、という説明をしている時、私はルイージ氏の言葉を聴くだけで、その「香り」を錯覚した。
イタリア語が母語だから、という理由ではなく、言葉の選び方や話し方に洗練されたセンスを感じた。
ちなみにルイージ氏は、日本語も勉強しているそうで、平仮名は得意だがカタカナは「なぜか」苦手なのだとちょっとハニカミながら言う。
「イタリア人」ぽくないイタリア人という意味では、たしかに故アバド氏と似ているかもしれない。
NHK は受信料のことで糾弾されやすいけれど、N響の演奏会がテレビで視聴できるという点はすごくリーズナブルだと思う。
個人的には古典芸能とクラシック音楽と語学番組については、最大活用しない手はないと思っている。