運の悪い競走馬の思い出

日本で乗馬をする場合は、元競走馬のサラブレッドに乗ることが多い。

昔の話だが、たまたまこれから地方競馬でデビューするという牝馬を見せてもらった。
まだ子どもっぽい表情の可愛い馬だった。

馬主も気に入って可愛がっているそうで、娘だか妻の名前を登録名に織り込んでいるのだという。
ここでは K ちゃんと呼ぶことにする。

私はそれまで競馬に興味はなかったし、競馬場にも行ったことはなかった。
K ちゃんに間近で会ったのはその時、たった数時間の出来事だった。

でもその後なぜか K ちゃんのことをよく思い出すようになった。

「今日はどこの競馬場で走っているのだろう?」
「怪我しないで無事やっているだろうか?」

気になって仕方なくなり、競馬サイトを眺めるだけでは物足りなくなった。

K ちゃんにまた会いたい一心で競馬場に初めて足を踏み入れた。

当時、ある地方競馬場に調教師と馬主をしている知り合いがいたので、そこでのレースの時は馬主席に入れてもらえた。

他の競馬場の時は一般席の片隅から K ちゃんを見ていた。

競馬場の観客席の雰囲気は、いつの時代も世界中どこもほとんど違いはないんじゃないだろうか。

競馬新聞と鉛筆を握りしめた男性たちが憑りつかれたように叫んだり黙ったりする。

純粋に馬が好きで来ているように見える人もいて、意外と女性の姿も多い。

私は K ちゃんを応援したかっただけなので、馬券はめったに買わなかった。

いろんな思いの人間たちの前で K ちゃんはいつも一生懸命走っていた。

なかなか勝てなかったがそれでも一生懸命走っていた。

パドックではちょっと不安で自信なさそうで、大声の男性に声をかけられると大抵びくっとしていた。

それからしばらく経って私はしばらく遠方に暮らすことになり、競馬場には行けなくなった。

それから何年か過ぎた。
いろいろなことがあって K ちゃんのおもかげは次第に遠くなった。

ある時 K ちゃんに似た馬を見かけた時、記憶がよみがった。

「K ちゃんは今どうしているんだろう?」

インターネットで検索した。
K ちゃんには彼女のことを心から気にかけているファンがいた。
競馬サイトの K ちゃんのページにはそんな人たちの言葉があった。

私が最後に競馬場で見た後何年も、K ちゃんは走り続けていた。
そろそろ引退させる時期だろうと皆が思っていた年を過ぎても、まだ走っていた。

「あと少し。」
「あと少し。」

ある日、いよいよあと数か月で引退が決まった。
性格もおっとりしているから、引退したらきっと良い乗馬クラブに入厩してみんなに可愛がられて余生を過ごせるだろう。
そう思って K ちゃんをずっと見守ってきた人たちは安堵した。

 

そんな時、レース中に事故があって、K ちゃんは怪我をした。

軽くない怪我だった。

そして予後不良と診断された。
あまりに唐突なお別れだった。
その後、競馬サイトの掲示板で見たコメントが忘れられない。

「神さまなんていないとわかった。」

K ちゃんは引退直前にそんなことになったけど、もっと早くにそうなってしまう運命の馬もいるだろう。
仕方のないことかもしれない。

でもやはり、
「あと少し。」
「あと少しだったのに。」

そう思わずにはいられなかった。

動物の権利とか、動物愛護とか最近よく聞くようになったが、こういうことは毎日のように起きているだろう。

競馬もペットショップもなくなることはないだろう。

でも K ちゃんのことを思い出すと切なくなる。

乗用馬に転用されたサラブレッドに乗る時、心のどこかにそのことがある。

デビューする前に初めて会った時の K ちゃんのあどけない顔を忘れない。