たまに行く雑貨屋にブックコーナーがある。
変わった品揃えでコンセプトは多分「生きる・暮らす・社会・個人」みたいなのではないかと思っている。
ある日何気なく立ち止まった時、正面にこの本があった。
吉本由美氏について、よく知っているわけではない。
古き良き時代の雑誌『アンアン』『クロワッサン』『オリーブ』の雑貨・インテリア スタイリストだった人ということ程度だ。
軽いエッセイ本の類かと思って手に取ってみたところ、たまたま開いたページに書かれていたことに軽く衝撃を受けた。
10日余りにわたって続いたこの事件は当時テレビで生中継されていたそうだ。
その「ライブ」から目が離せなくなった著者は「病欠」と偽って会社を休み続け、とうとうそのまま退職してしまったと書いてある。
「何と破天荒な団塊世代!」
と感嘆した。
自分の知っているのとは違った団塊世代の生き様に、俄然興味を持った。
本著では昭和〜最近までの、今では「歴史的事件」と言われるような出来事にも控え目な言及がある。
三島由紀夫事件(1970年)
日航ジャンボ機墜落事件(1985年)
東日本大震災(2011年)
など。
吉本氏のキャリアにおける登場人物も錚々たる面子だ。
長沢節、大橋歩、村上春樹、角川春樹、(ロス疑惑事件の)三浦和義などの各氏がさりげなく出てくる。
社会を揺るがした大事件や著名人との交友に彩られた華やかな背景。
それと「一個人としての人生の出来事や折り目」がほとんど同等の扱いで綴られていく。
吉本氏は学生運動の時代に東京にいながら、一切そうした活動には共鳴しなかった。
こうした姿勢も、画一的な団塊世代の既成概念に当てはまらない。
何十年も自分が邁進してきたインテリア・スタイリストという職業についても
「モノに溢れた世の中を作り、読者の購買欲を煽るような自分の仕事に嫌気が差した。」
とバッサリ評価して辞めてしまうところが、何と正直で潔い人物なのだろうと驚嘆する。
長い東京暮らしを捨て、62歳で故郷の熊本に帰ってきた著者。
ある日生家にて午睡から覚めた時、17歳の時の自分が長い夢を見ていたように錯覚したという話が印象深く心に沁みた。
そしてそれから今も、吉本氏の人生は続いていく。
書店で手に取った時はふわふわした軽いエッセイ集にように見えたが、実はすごく密度の高い本格的な一代記。
変な喩えだが『好色一代女』『好色一代男』など、井原西鶴の作品の主人公たちのような、自由闊達さを感じた。
それでいて(色恋などの側面はほぼ排除した)確固とした「仕事軸」から捉えた自伝。
本を読んだら他の読者の感想も気になるので、いくつかのレビューサイトにも目を通す。
Amazon 他にいくつか言及されているのが、著者が東京での仕事を辞めて熊本に戻った時「貯金がない」と言って兄弟たちを呆れさせたエピソード。
著者の生き様について「貯蓄の必要性」だの「人生設計の甘さ」だの「金の重要性」を説く人がそこそこいる。
「若くて稼いでいた時にもっと貯蓄しておくべきだった。」などと評する人は、確かにたんまり金を持っていれば幸福で安心なのだろう。
でも「金は持っているが人脈(センス)のない人」は「金は持っていないが人脈(センス)のある人」と比べて、がぜん「人生が楽しくなる出会い=チャンス」には恵まれないものだ。
吉本由美氏の職業は「粋人」と言ってもいいし「目利き」だとも言える。
スタイリストという仕事自体が自分でモノを制作するのではなく「センス」を生かしてモノを「配列」するアーティスト、または「風流人・趣味人」なのだろう。
古くは西行法師のような、近代では白洲正子のような、こうした「センス」を職業とする人々に、凡人が貯蓄を勧めるのはちょっと無粋であるように感じる。
もっとも著者が見出した金銭問題の解決策は「リバース・モーゲージ」だったという極めて現実的なオチなのだが。
それはともかく、最近読んだ本の中では一番面白く、読後に色々考えることが多い一冊だった。
本はつくづく見かけによらないと思う。
最後に『イン・マイ・ライフ』というタイトルの不思議。
著者はボブ・ディランの曲名から取ったと書いているが、どう探しても『イン・マイ・ライフ』はビートルズの曲としてしか見つからない。
「転がる石のように」からボブ・ディランが本当の年寄り声になった月日の流れなど、本著に一貫するモチーフであるはずのこの楽曲は、いったいどこに存在するのだろうか?