プレ老後を生きる上で、来るべき将来を想定しつつ備えることは大事だと思う。
今まで生きてきた感想の一番は、氷河期世代は大変な苦労をしたということだ。
今だったらもっと事件化して報道やら拡散が間違いないような過酷な出来事が、日常茶飯事だった人は少なくないと思う。
あくまで個人的な印象だが、氷河期世代は人に騙されることが他の年代よりも少ない気がする。
あまりにも非道な目に遭わされたため、そもそも騙される「地点」に至るまで人を信用しないのではないかと思うからだ。
子供時代から過酷な生存競争を強いられた故に備わった防衛機能を持っているような気がする。
そんな氷河期世代にとっての「仇敵」はまず、ギリシア神話のオイディプスやエレクトラではないが、自分の親(多くの場合団塊)世代だ。
昔は今のようにインターネットもないし、膨大な情報に即座にアクセスすることができなかった。
だから「権威ある」親世代の言うことをうのみにしたり、洗脳されているようなことも多かったと思う。
でも実際に社会の中で苦労をしながら「聞かされていたことと真実は違う」のに気づき始める。
氷河期世代には、上の世代から「能力不足」「努力不足」と言われて自己肯定感を保てなくなった人も多いと思う。
(中には同じ氷河期世代でそう言う人もいるが、自分が上手くいったからといって再現可能性が高いとは言えない)
でも実際には上の世代の方がはるかに能力が劣っていて、かつ労働生産性も低いことが多く、それが現在露呈している日本衰退の一因になってきた。
そうした社会の状況を今さら「国の危機だ!」などと熱く思えないのは、氷河期世代の心に通底する共通の意識のような気がする。
自分自身も間違いなくそのひとりで、世代共通の「醒めた」目で事象を眺めつつ、とりあえず自分が死ぬまで生きられればいいかなと思っている。
その上で非情な世間を生き抜くために、いろいろなことを想定したり、予測したりしてきた。
そんな私の心の中が AI に盗み見られていたようだ。
宮台真司著『社会という荒野を生きる。』
というタイトルの本がサジェストで出てくるようになった。
2015年の出版だから、8年も前の著作だ。
ふだんこの手の本はあまり読まないし、宮台氏の著作も読んだことがない。
でも、最近傷害事件があったし、タイトルに心惹かれるものがあったので購入して読んでみた。
この本のひとつの楽しみ方は、2015年の時点で宮台真司氏が述べている事象と分析が、8年後の現在からみてどう変化しているかの「答え合わせ」かもしれない。
しかし、第一章が「なぜ安倍政権の暴走は止まらないのか」とあるように、まず「政治」を取り上げている。
私はこのブログでは政治については基本的には扱わないことにしているのでパスしたいところだが...
ただ、宮台氏と安倍氏には「日本らしい」と感じた共通点もある。
ふたりとも何らかの「思想」に基づいた「主義信条」のためにというよりも、「個人的」「心情的」な動機で襲撃されたことだ。
また、本著を読むまで知らなかったが、宮台氏は2015年までの過去20年近く、つまり平成の時代における「天皇主義者」なのだそうだ。
この点は興味深いと思った。
なぜなら2015年の時点ではそういう人は多かった気がするからだ。
でも過去8年の間に国民がいろいろなことを知った現在はどうだろう?
物事というのは常に「相対化」されるものだ。
「天皇主義者」の宮台氏は「天皇」でありさえすれば、将来もどのような方でも崇拝するのだろうか?
「答え合わせ」として、令和の今、それを聞いてみたいと思った。
ところで、宮台氏と自分が圧倒的に違うのは「社会が変わる可能性」に対する「熱量」だ。
現在、毎日のように「少子化問題」が報道されているが、宮台氏はこの問題への根本的な解決策についてずっと提言してきた学者だと分かった。
どうやったら男女が交際し、やがて子供が生まれるようになるかについて「熱く」語っているのが印象的だった。
女性ばかりが負担を強いられる家事育児の問題についても「男が女に近づけ」、「女性に『働け』と奨励するんだったら、対称的に男性に『家事を育児をやれ』と徹底的に奨励しろよ」(同著P246)と言い切っている。
しかし宮台氏の提言から8年たった今もこういう意識はまったく浸透していないのではないだろうか。
3年間のコロナ禍の影響も大きく数値に表れているし、少子化問題はもはや解決不可能だと思っている。
他に、最近もベビーカーでのバス乗車を断られた事件があったが、本著では「『ベビーカーでの電車内乗車』に、なぜ女性は男性より厳しい目を向けるのか」と章立てして見解を述べている。
この問題については、主として心理学的な側面から見解を述べられている。
しかし女性が肩身狭く育児しづらい問題は、8年後の現在も解決されていないという点で、日本社会は旧態依然として変わっていないことを示していると思う。
私の場合は、氷河期世代としての過酷な経験と動物的な感覚によって、ずっとこの国の社会の趨勢を眺めてきた。
ほとんど「性悪説」のような世界観に基づいて、非婚化とか少子化、不動産市場、労働市場、AIの発達(これについては仕事で関わったので日々つぶさに実感した)など、将来を想定しながら生きてきた。
そして、(悲しいことに)予想が大きく外れることはほとんどなかった。
そうやってどうにか生き延びてこられた気がする。
生きるための「戦略」と言えなくもないが、社会に対して「熱量」が低すぎるのが氷河期世代特有の「冷たさ」かなとも思う。
氷河期世代は「薄情」だと言う人もいる。
しかし、何しろ氷河期なのだから、冷たいのは仕方ないかもしれない。
多方面に向け「クソ〇〇」と暴言を繰り広げつつも、社会を変えたいという熱量=希望を持ったひとまわり以上も年上の宮台氏が、眩しい若者のように思えた。