プレ老後ライフは貴族趣味

ミドルエイジをそこそこポジティブに生きる

のぼせあがった追っかけ「女」

「女」について書きたいこと

このブログは「ジェンダーフリ―」で書いている。

でもどうしてもジェンダーを絡めて書きたいことがある。

まとまりのない記憶の連鎖に過ぎないが、ずっと心にひっかかっている問題なのだ。

それは人生において定期的に「のぼせあがった女」に遭遇し、面倒に巻き込まれるという現象だ。

いい歳になれば、誰でも経験を積んできているから「面倒くさい人」に出会ってもある程度のスルースキルを身につけていると思う。

自分も短気というか諦めが早いので、面倒くさそうなこと興味ないことはスルーして生きている。

回りくどい「自慢話」や親しさのふりをした「依存」もパスしている。

だから基本的にストレスは溜まらない。

 

乗馬クラブの「のぼせあがった女」

「彼女」は当時40代はじめくらいで、とある乗馬クラブの客だった。

いつも腫れぼったい目で化粧気のない青白い顔をしていたが、髪だけはバブル時代に流行ったような艶やかでまっすぐの見事なロングヘアだった。

目当ての「彼」も同年代で、乗馬の指導者だった。

玉木宏をもっと渋くしたような容姿で頭も切れたので、乗馬クラブには彼のファンの「おばさま」が多かった。

彼の方はちょっと訳ありだったが、一応2人ともシングルだった。

彼女が彼に「のぼせあがって」いたのは誰の目にも明らかだった。

週末になると彼のレッスンを受けるために遠路はるばるやってきた。

そして彼女自身のマンツーマンのレッスン中だけでなく、他の人のレッスン中も馬場が見渡せるベンチに陣取って、うっとりと彼を眺めていた。

朝一番に来て営業時間の最後ギリギリまで滞在し、一日中彼を見つめたり付きまとったりしていた。

「のぼせあがった」と形容するのは、彼女の表情のせいだった。

それを説明するのに「タガが外れた」という言葉の他、適切なものが見つからない。

 

「のぼせあがった女」と共感性羞恥

ある時常連の女性客が言った。

「私、あの2人を見ているとこっちが恥ずかしくなるわ。何か見てはいけないものを見ているような気がするのよね...」

彼女の「のぼせ」ぶりは態度だけでなく行動にも表れていた。

自発的に彼の仕事の「手伝い」を始めたり、近寄れるときはずっと側に寄り添っていた。

そんな様子はすぐに噂になって、やがて

「あの2人は付きあっているんじゃない?」

と誰かが言い出した。

その意見に同調するのはなぜか「女性」だった。

傍目には2人が笑い合う様子が、あまりにも親密そうだったからだ。

「それはないだろう。付き合ってるなら会うためにわざわざ乗馬に大金を使う必要がないだろう」

と言うのはなぜかいつも「男性」だった。

商売上手な乗馬クラブはたいてい通常のレッスンの他、物品販売や指導員引率の海外旅行など客の購買意欲を惹くさまざまな方法を持っている。

彼女はスキル上達のためというより彼の傍にいるために、2年来かれこれ数百万円を費やしていた。

そしてその行動はエスカレートしていった。

週末になると必ずやってきて「タガが外れた笑顔」で彼を追い回す。

この2人の関係はやがて「ホスト」と「追っかけ」みたいだと陰口を叩かれるようになった。

皆、彼らの関係性についてそう考えるのが一番納得がいくからだった。

 

「追っかけ」が終わったきっかけ

好奇心と怖いもの見たさで、彼らのことを噂しているうちはまだ平和だった。

彼女が羽目を外して暴走し始める頃になると被害者が出始めた。

他の客のレッスン中に、彼女が馬場の中にいる彼に声をかけたり、ふざけて笑いかけるようになったからだった。

レッスンに集中している客の方から見れば、相好を崩したぶしつけな女がずっと「自分の方を見てゲラゲラ笑う」。

自分が笑いものにされているように感じたのは、ひとりふたりだけではなかった。

経営者にクレームが入ることも度々だったが、やがて客の方が愛想を尽かして去った。

実は、私もそうした客のひとりだった。

私が去ってからも彼女の「追っかけ」は続いていたが、その3か月後、彼が遠方に転職を決意したことで唐突に打ち切られた。

転職先は到底、毎週末「追っかけ」が続けられる距離ではなかった。

 

「のぼせあがった女」との遭遇

「のぼせあがった中年女」のモチーフは、去年ブログを始めて挫折した時に、また出現した。

そして、このブログの「ブログ論」カテゴリ―の記事に書いたように、今年になってからも再燃した。

もう何だか「貞子」にしょっちゅう遭遇するような気持ちになる。

今度は乗馬クラブのインストラクターと客の話ではなく、音楽家とファンの話だった。

でも「追っかけ」が「女」であるのは共通している。

私は長年続けている乗馬のおかげもあってか身体はとことん頑丈で、上述のようにストレスを回避して生きているふてぶてしい人間だ。

でも「追っかけ女」に関しては、龍の血を浴びて不死身になったジークフリートの唯一の急所で、大ダメージを食らってしまう。

実はそれには理由がある。

若かった頃やはり「音楽家」に「のぼせあがった」ある女性との苦い思い出があるのだ。

彼女もまたある音楽家への「追っかけ」行為に血道を上げるようになり「タガが外れて」いった。

とうとう「越えてはいけない一線」を越え始めたのを見て、私は苦悩した。

彼女は学校の大先輩で、昔、親しい間柄だった。

とはいえ「本人の意志」でやっていることに他人が口出しをするのは憚られた。

しかし彼女には「大学教員」という肩書もあったし、あまりにも「狂気」だと感じたから、ある日、私は勇気を出して諫言した。

すると彼女はみるみる逆上し、ものすごい形相で私を罵倒した。

そのことがきっかけで、彼女とは距離を置くようになった。

それからしばらくして彼女は音楽家の「追っかけ」をやめた。

楽家が実は「既婚者」で、子どもが生まれたばかりだということが発覚したからだ。

彼女はそれから2年後、病気のため若くして他界した。

 

「のぼせあがった女」のトラウマ

私にとって「のぼせあがった追っかけ女」が一種のトラウマなのは、この記憶のせいだ。

このトラウマはまだ克服できていない...

そしてその後の人生でも、なぜか忘れかけた頃になると新たな「のぼせあがった女」に遭遇するのだ。

乗馬クラブの女の件はいつまでも引きずったため、トラウマ克服のために「小説」を書くことを勧められたりして、ほとんど「心理療法」みたいなことになっている。

そんなこともあって、今夏から世に広く知られるようになった「宗教」をめぐる問題は私にとっては、どうしてもこの話に重なる。

この手の話では「洗脳」する側の違法性に焦点が偏りがちだが、「陶酔」している側の「メンタリティーの問題は重大だ。

周りから見てどう見ても「狂気」だったり「一線を越えている」ことでも、本人の意志でやっていることをやめさせることは容易ではない。

そして、逆上して鬼のような形相をした「女」の恐ろしさ...

私は再び自分の前に「のぼせあがった追っかけ女」が出現することに戦々恐々としながら生きている...