プレ老後ライフは貴族趣味

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「メロドラマ」が一変するツヴァイクの「怖い」小説

「見知らぬ女からの手紙」

若い頃、海外にいた時むしょうに「何か本が読みたい」と思った。

今のようにインターネットもなく、その時は小さな「図書室」しかない環境だった。

しかも図書室の本は辛気臭そうなのばかりだった。

おもしろそうな本を見つけるのは至難だったが、まずフランス語翻訳版の川端康成眠れる美女を見つけた。

地の果てのような場所で日本文学に出会ったのは誇らしく感動的だったので、それを読むためにフランス語の勉強に力を入れる決意をした。

続いて、ナチスドイツの時代に悲劇の死を遂げたオーストリアの作家、シュテファン・ツヴァイクの短編集を見つけた。

ツヴァイクは小説よりもむしろベルサイユのばらの原作となった『マリ・アントワネット』などの伝記やヨーロッパ文明の「終焉」を論じる回想録昨日の世界といった作品で知られている。

さて、私が異国の小さな図書室で見つけた本の中に、

「見知らぬ女からの手紙」

という作品があった。

原作はドイツ語(Brief einer Unbekannten)だが、その時読んだのが英語(Letter from an Unknown Woman)だったかフランス語(Lettre d'une inconnue)だったか覚えていない。

で、読み終わった後も「何だかよく分からない...」という思いが残った。

その後、日本に戻ってからみすず書房から出ていた『ツヴァイク全集』の日本語訳も読んでみた。

しかしそれでもやはり釈然としないものがあった。

ストーリーは要約するとだいたい次のようなかんじだ。

ある日作家(男性)の元に分厚い手紙が届く。

送り主は女性の名前だが、作家は見覚えがない。

女性は作家に語りかける。

「わたし」が少女だった頃、近所に有名な作家の「あなた」が引っ越してきました。

「わたし」はたちまち魅了されて「あなた」を熱愛するようになりました。

でも悲しい事に親の都合で引越すことになり「あなた」から引き離されました。

その後も「あなた」が忘れられないまま成長した「わたし」は、親元を離れ「あなた」に再会しました。

「あなた」は子どもだった「わたし」を覚えておらず、ゆきずりの関係を持っただけでした。

その後、妊娠していることが判った「わたし」はひとりで息子を産み育てました。

10年以上経ってから偶然「あなた」に再会しました。

けれども「あなた」はやっぱり「わたし」のことを覚えていませんでした。

「わたし」は絶望して、再び「あなた」の元を去りました。

「わたし」と「あなた」の間の息子は、先週死にました。

「わたし」も死んだ息子と同じ病にかかっており、もうすぐ死ぬでしょう。

だから「あなた」がこの手紙を読むころには「わたし」はこの世にはいないでしょう。

作家は手紙を読み終えた。

しかし、その「女性」のことがどうしても思い出せないのだった。

 

ハリウッド映画『忘れじの面影

シュテファン・ツヴァイクの小説はあまり知られていないが、「見知らぬ女からの手紙」は1948年に当時人気だったジョーン・フォンテインとルイ・ジュールダンという俳優を起用してハリウッドで映画化(Letter from an Unknown Woman)されている。

邦題は忘れじの面影

昔っぽいタイトル...

filmarks.com

この映画は「コテコテのメロドラマ」なのだが、原作からの改変部分の中には興味深い点がある。

・手紙を受け取ったのは原作では「作家」→映画では「ピアニスト」

・映画では原作にはない作家の召使が登場し、女性の存在を主人に「証言」する。

「作家」から「ピアニスト」への変更は、フランツ・リスト作曲のロマンティックなピアノ曲「ため息」を映画の主題にする上での整合性のためかもしれない。

けれどもリストがそうであったように、女性から「モテモテ」なのは「作家」よりも「ピアニスト」の方がしっくりくる。

私が今までに遭遇した「追っかけ」たちのように...

しかしそれよりも気になるのは、映画版の「召使」の存在だ。

ピアニストは短期間とはいえ、付き合っていた女性を思い出すのに四苦八苦し、この「召使」によって記憶を甦らせることに成功している。

でも元々、原作小説にはそんな人物は存在しない。

そもそも映画では「当然のように」この女性の告白は「真実」として描かれ、女性の視点から過去の回想シーンが美しく描かれている。

しかし、

ちょっと待ったぁ!

原作には「見知らぬ女の手紙」の「信憑性」を裏付けるもの、つまり手紙に書かれたストーリーが「女性の妄想じゃないっていう証拠」はないのだ。

手紙を読んだ男だって、どう頑張ってもその女性のことが「思い出せない」。

それは本当に思い出せないだけなのか?

そうじゃなくて、小説内の現実では「そんなこと」は起きてなかったのではないのか?

このことに気づくと「コテコテのメロドラマ」は一転、

「憧れの男性との恋愛妄想に憑りつかれた女性の脳内で作り上げられた狂気のストーリー」

となり、背筋をゾワーっと冷たいものが走るのを禁じえない。

もし本当だったら、ストーカーの言い分を信じて「純愛」を映画化したことになる...

 

「熱病に浮かされた人」のモチーフ

前回の記事に書いた「のぼせあがった追っかけ女」の過去のトラウマ。

prerougolife.hatenablog.com

「追っかけ」の最終形態がいわゆる「ストーカー」だろう。

「ストーカー」をテーマやモチーフとした文学や映画としては、スティーブン・キングミザリー Misery』(小説:1987年 映画:1990年)が有名だ。

ベストセラー作家の熱狂的なファンが暴走していく恐怖は身の毛もよだつ。

この作品より前に「ストーカー小説の元祖」と言うべき作品があるのかどうか、私は知らない。

(もし知っている人がいたら教えてほしいと思い、この記事を書いている...)

でもストーカーの一歩手前のフェーズとしては、上述のツヴァイクの「見知らぬ女からの手紙」は元祖の「候補」たり得るのではないかと思っている。

もうひとつ、根拠と言うには足りないかもしれないが、おもしろい点がある。

この小説とともに発表されたツヴァイクの短編に「アモク Amokという作品がある。

「アモク」というのは熱帯地域の風土病だ。

この訳の分からない一種の熱病に侵されると、丸一日密林を暴走して次の日に死ぬという話だ。

この「アモク」という作品を「見知らぬ女からの手紙」に重ね合わせると、私にはどうしても女性の手紙に綴られていることが「妄想ストーカーの脳内日記」に思えて仕方ないのだ。

この仮説が成り立つなら、シュテファン・ツヴァイクが「元祖ストーカー小説」の生みの親ということになるかもしれない。

蛇足だが、シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig)とスティーブン・キングStephen King)のファーストネームは同じ。

"Stephen" の綴りと発音(有声音の"v")に「ずれ」があるのは殉教者「聖ステファノ」に由来する古い名前(昔は無声音の"f")だからだ。

 

ツヴァイク「見知らぬ女からの手紙」から100年

既述のハリウッド映画の他、私が観たことのない同作品の映画化、演劇化作品はその後もいくつもあるようだ。

2004年の中国映画『見知らぬ女からの手紙』(みしらぬおんなからのてがみ、原題: 一個陌生女人的来信)は東京国際映画祭で上映されたようだが、日本未公開とのこと。

映画 見知らぬ女からの手紙<未> (2004)について 映画データベース - allcinema

また、2008年(2013年に再演)に行定勲演出で舞台化されている。

演出:行定勲 出演:中嶋朋子/西島千博 『見知らぬ女の手紙』 - YouTube

私はこれらの作品を観ていないので何とも言えないが、今もなおインスピレーションを与え続ける小説なのだろう。

機会があったら是非観てみたい。

シュテファン・ツヴァイクがこの小説を発表した1922年から今年でちょうど100年

「のぼせあがった追っかけ女」をトラウマとする自分にとっては「宿命」のように出会った短編小説であることに間違いない。