ここ最近聴いた中で、外国語の操り方が巧みだがと思う3人+αを挙げた記事を書いた。
これに加えて、私がネイティブ言語としての話し方に感銘を受けた3人がいる。
ピアニスト、ブルース・リウ氏の話すフランス語(ケベックアクセント)。prerougolife.hatenablog.com
そして最後にネイティブスピーカーシリーズ大本命が、BBC の名探偵ポワロシリーズで主役を演じるデビッド・スーシェの話す英語だ。
私は子供時代のシャーロック・ホームズ以来のミステリ好きだが、古典の一番はエラリイ・クイーンで、パズルものが好きだった。
アガサ・クリスティの作品はあまりにも有名なので一応読むには読んだが、若い頃はあまり惹かれたわけではなかった。
犯行動機や人間関係がドロドロすぎて、あっさりサッパリが好みだった自分には合わないと思っていた。
ところが、いい歳になって名探偵ポワロをテレビで見ているうちにアガサ・クリスティの描く「泥沼の世界観」が実にしっくりくるようになった。
一人の人間としての「成熟」が必要な作品なのかもしれない。
中でも最も好きなのは『ナイルに死す』で、もうひとつが『杉の柩』という作品だ。
どっちも「ドロドロ」にかけては引けを取らないだろう。
ある日Amazon Audible のオーディオブックで『杉の柩』を見つけた。
英語版(原題)では『Sad Cypress』という。
タイトルはシェイクスピアの『十二夜』のセリフから引用されている。
テレビシリーズももちろん観ている私は、ナレーションがデビッド・スーシェだというのを見て、迷わず購入した。
テレビの名探偵ポワロシリーズは、日本語版の吹き替えの声優、故・熊倉一雄さんの声が親しまれている。
もちろん私も吹き替えの声が大好きだが、オリジナルのデビッド・スーシェさんの声もたまらなく魅力的だ。
原作に描かれているポワロのクセの強い性格を、声色や話し方によって実に忠実に再現している。
Audible の『Sad Cypress』でも、「フランス語訛り」のポワロは、ドラマのとまったく同じスーシェさんの声だ。
ちなみにポワロは、語彙的にもフランス語寄りで、「understand」ではなく「comprehend(仏 comprendre)」 を好むことは知られている。
しかし、私が驚愕したのは、この小説に登場する何人もの人物の「声音」もすべてそれらしくスーシェさんが演じ分けていることだった。
陰険な感じの中年女性の声、まじめな性格で苦悩する若い女性の声、ちょっと思慮に欠ける若い男性の声、どんな人物の声にもなりきっている。
もう噺家も顔負けの「話芸」にしびれて、悶絶しそうになる朗読だ。
やはり「演劇の国」イギリスの名俳優というのはものすごい力量だ。
このオーディオブックの『Sad Cypress』をヒマさえあれば聞いていたいほど気に入ってしまった私は、とうとう(買わないつもりだった)ワイヤレスイヤホンまで買ってしまった。
若い頃、あんなにもピンと来なかったアガサ・クリスティの作品は、今では噛みしめれば噛みしめるほどウマ味のあるスルメのようである。
味、と言えば、この作品の中で重要なアイテムとなっているのが、「サーモン」「エビ」「カニ」味の「サンドイッチ用ペースト」だ。
食料品店の主人は「おいしいですよ、味は保証します」とか言って、女主人公が購入するのだが「変な味がする...」
って、毒入りじゃなくても、あんまりおいしそうには思えない。
美食家ポワロからも当然「イギリス人の味覚ときたら...」とボロクソ言われる「フィッシュペースト」。
この怪しげな「ペースト」に劇中人物も、本の読者も、みんな注目してしまうのが、クリスティの皮肉を込めた「冗談」なのだろうか?
いったいどんなペーストか、試しに食べてみたいとはあまり思わない。
それはともかく、デビッド・スーシェが「ポワロ役」だけではなく、並外れた俳優であることを改めて感じた力作だった。
『杉の柩』の次はやはり『ナイルに死す』を聴きたい。
『Death in the Nile』のナレーションはかのケネス・ブラナーだ。
やっぱり英国は演劇の国で豪華だと思う。