★この記事は note で公開していたものを再編種、再掲したものです。
言葉遊び(=レトリック)としての「ラ・チ・ダレム変奏曲」
2021年に開催された第18回ショパン国際ピアノ・コンクール優勝者ブルース・シャオユー・リウ(Bruce Xiaoyu Liu)さんのインタビューを、英語表現の面から取り上げます。
テーマは「ラチダレム変奏曲、正式にはモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の『お手をどうぞ』による変奏曲(Variations sur "La ci darem la mano" de "Don juan" de Mozart) 変ロ長調 作品2」です。
ブルース・リウさんがショパンコンクールの第3ラウンドの最終曲として演奏された作品です。
本稿では言葉遊び(レトリック)としての「ラ・チ・ダレム変奏曲」について述べています。
演奏について論じたり、感想を述べたりしているのではなく、また同時に現実の(生身の)ブルース・リウさんについての詮索や興味は一切ありません。
あくまでも「メタレベル」での考察ですので、ご理解ください。
さて、ショパンコンクール第3ラウンド終了後のブルース・リウさんのインタビューがYoutube で公開されています。
全体で5分弱ほどですが、このインタビューの01:00~02:40 あたりをご紹介します。
Dwójka - Program 2 Polskiego Radia(ポーランド国営ラジオ第2チャンネル)の2021年10月17日の配信動画です。
この英語インタビューを Youtube の自動翻訳を使って日本語の字幕をつけてみるとかなり意味不明なところが多いです。
AI はまだ、つっかえたり言いよどんだり、雑音が混じった言語を正しく認識できていないようです。(2023年時点)
そのため、ブルース・リウさんのコメントの面白さは翻訳字幕では正しくは伝わっていません。
そのような理由から、本記事で扱うテーマに関わる箇所を手作業で日本語に翻訳した上で引用します。
Seduction(誘惑) とDance(ダンス)
(01:00~)
女性インタビュアーに交代した 01:00~ あたりから次第にリラックスした受け答えに変化し、01:27~インタビュアーが、ブルースさんのマズルカに感じる「ダンスのようなリズム」について鋭い質問をします。
ポーランドの方がマズルカを大切にしており、コンテスタントの演奏に注目していることが伝わります。
それに答えるブルース・リウさん。
このあたりから軽口モードに調子が出てきたようです。
こう述べた後、また真面目な質疑応答に戻っています。
マズルカについての質問に対するこの返答は、ブルース・リウさんの演奏同様に意外性とリズム感にあふれています。
ここに出てくる「seduce(名詞 seduction)」という単語はぴったりと該当する日本語が見つかりません。
「誘惑する」の他「口説く」などが当てられますが何となくしっくりきません。いやらしさがあって、どことなく湿気も感じます。
「seduction」にはもっとドライで逆らい難く惹きつけるイメージがある気がします。
語源的には「離れて、引っ張って」という意味になります。
ダンス(踊り)との共通点があるように感じます。
歌劇『ドン・ジョバンニ』の「お手をどうぞ」はドン・ジョバンニとツェルリーナがいっしょに行くとか行かないとかでもめる場面で、「誘惑の二重唱」として有名です。
上に引用したブルース・リウさんのコメントに見る通り、「seduction」という概念が「ダンス」と密接に結びつき、変奏曲だけではなくマズルカ、ロンド、ポロネーズといったほかの演奏曲にも共通する要素(テーマ)として統一されていたことが演奏者自身の口で語られているのは、興味深いことかもしれません。
「ブルース・リウ構文」の基本形
さて、ここからようやく本稿の本題に入ります。
ブルース・リウさんというピアニストの面白さは、こうしたテーマに対する音楽的アプローチだけではなく、巧みな話術においても同じく高度なテクニックを披露する点ではないかと思います。
そのテクニックは筆者が「ブルース・リウ構文」と名付けたもので、次のような構成を持っています。
① ドン・ジョバンニ(俗語で言えば「チャラ男」)風に攻める。
② 自分はそうではないと否定する。
「〇〇構文」というスラングは2~3年程前でしょうか?インターネット上で広まり話題になりました。
有名なものとしては若手政治家の弁論術を揶揄して呼ばれた「進〇〇構文」が良く知られています。
①②から成る「ブルース・リウ構文」は、意味も明瞭で至ってシンプルです。
そして実際にこの動画ではインタビュアーの女性を笑わせることに成功しています。
軽いジョークですが、コンクールでの演奏直後という状況にも関わらず、あえて盛り込むところにこのピアニストの何としても相手を笑わせたい意志の強さを感じます。
パラフレーズする Don Juan =チャラ男像
実はブルース・リウ構文のヴァリエーションとして、上のインタビューよりも複雑高度化した別ヴァージョンがあります。
引用するのはショパンコンクールの主宰者のサイトで公開されている「Bruce (Xiaoyu) Liu - interview」という動画です。
(2:51-3:35)
① ドン・ジョバンニ風に攻める。
② 自分はそうじゃないと否定する。
こちらの動画の方が複雑な「ブルース・リウ構文」をとっていると言えるかと思います。
なぜなら①が2重構造になっている、つまりパラフレーズ(paraphrase)が用いられているからです。
詳しく見てみましょう。
同じようなことを言い替えているように見えます。
パラフレーズ(paraphrase)は、欧州語においては非常に重要です。
パラフレーズが上手だと話術が巧みだと評価される面があります。
そして、パラフレーズは基本的には抽象的(わかりにくい)→ 具体的(わかりやすい)に言い替えるのがルールです。
しかしブルースさんの用法は少し違います。
Don Juan を超克するパラフレーズ
① 最初の比喩 「pianos」=「different girlfriends」
「異なる恋人たち」という比喩のイメージはやはりドン・ジョバンニです。
あちこちで女性たちと恋愛関係を持つけれども「different girlfriends」たちは当然それを良しとは思っていない。
「追っかけ」「ストーカー」になってしまったドンナ・エルヴィーラも激怒していて、良い気分なのはドン・ジョバンニのみです。
②再び比喩でパラフレーズ 「pianos」=「multiple lovers」
「multiple lovers」は、日本語にすると同じ「複数の恋人」という訳になってしまいます。
しかし、語彙としてはポリアモリー(polyamory)を連想させる表現です。
ポリアモリーとは
「交際相手を一人だけに限定しない恋愛関係のこと」
で、当事者みんなが納得して複数恋愛の関係を持つという概念で、実際に実践している人々も世界中に存在します。
①との違いは、①が(男女トラブルなど)物騒で不穏な空気を感じさせるのに対し、ポリアモリーでは当事者たちが了解している関係であるため、②では基本的に皆ハッピーだということです。
「ドン・ジョバンニよりももっとハッピーなポリアモリー」を提案してしまうブルース・リウさん。
演奏同様に言葉にも意外性がさく裂しています。
そんなブルース・リウさんは「multiple lovers」のことは知らないんだけど、と恥ずかしそうな表情を浮かべながらも、楽しそうに(嬉しそうに)しています。
そして、そこからの安定の「ブルース・リウ構文」でクローズ。
② 自分はそうじゃないと否定する。
「あ、でも心配しないでくださいね。僕はいい子だから・・・(本人爆笑)」
引用: 同上
最後に自分の冗談に自分で爆笑したところで、このコンクールの公式インタビュー動画は衝撃的に唐突にカットされています。
画面が切り替わってスポンサーのクレジットが流れるところがちょっとシュールです。
個人的にはかなり驚き、ショパンインスティチュートは「笑い」について攻めてるな(ふざけすぎ)と思いました。
クラシック音楽のコンクールはもっと真面目でキリキリするような緊張感しかないのでは?という先入観を裏切るインタビューです。
ブルースさんは「multiple lovers」という表現を使って、スタインウェイ嬢にヤマハ嬢 & etc. と同時に仲良くお付き合いするという、ピアニストであることの楽しさと大変さを語っています。
個人的にはショパンコンクールで運命の出会いを果たした(コンクール演奏では初めて採用とのこと)、フレッシュで天真爛漫なファツィオリ嬢がブルースさんには一番似合っていると思いました。
以上、ブルース・リウさんのコメントに見る「ラチダレム変奏曲」のテーマの展開について、言葉遊び(レトリック)として論じてみました。
(了)
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