映画は、たいていどんな映画も楽しく観る。
中でもつい何度も観てしまう映画があって、私にとっては多くの場合「多言語映画」だ。
特に、体験としてドーバー海峡を渡ると、英語⇄フランス語に切り替わるあの感じがものすごく好きで、映画でも同じ体感を求めているのかもしれない。
ちょっと古い作品(10年前以上)の中から、お気に入りの英仏バイリンガル映画を3つ。
切り口は「オジサン、オバサンが主人公」だ。
① ボヴァリー夫人とパン屋 (Gemma Bovery)(2014年)
「本歌取り」とは違うかもしれないけれど、元ネタになっている『ボヴァリー夫人(Madame Bovary)』については、私は永遠に語りたいほどで、そう言う意味では本映画の主人公の「妄想炸裂オヤジ」と同類かもしれない。
オヤジ(オッサン)という存在は、日本でもフランスでも、またはどの国でも似た者なのかもしれない。
いや、中高年になると性別やジェンダーに関係なくそうなるものなのかもしれない。
本作の主人公も、現実の事象を自分に都合よく「解釈」して、陶酔をこじらせていく。
『ボヴァリー夫人』を愛読するパン屋とイギリスから隣家に引っ越してきた若い夫婦。
フランス語「学習中」な若いボヴリー(Bovery)夫人(ジェンマ)を小説の主人公である「ボヴァリー(Bovary)夫人」に見立てるようになる。
でも、実際のジェンマは自分の仕事を持ち、恋愛(不倫)においても意志をはっきり貫いて行動するタイプの人物で、フロベールの小説の主人公とは違って、流されて生きてはいない。
それなのに、強引に小説(妄想)に引き寄せて現実を歪めてしまうオッサンの気持ち悪さ。
オッサン役のファブリス・ルキーニという俳優は、フランソワ・オゾン監督の『危険なプロット(Dans la maison)』の国語(フランス語)教師役でもそうだが、「文学」と絡んだ演技においては、ものすごい力量を発揮する。
でも、この映画で最高なのは、誰もがそう思うと思うのだが、最初と最後に出てくるパン屋の息子だ。
映画の始まりと終わりで、主人公は妻と息子と会話をする。
『ボヴァリー夫人』推しの夫に対して「私は『クレーヴの奥方』の方が好きだわ」という妻。
これはつまり夫とは違った「理性的な人物」を示す。
そして、文学にはまったく興味のないゲーム命な息子。
この息子がとにかくサイコーだ。
学校の授業でツルゲーネフの『初恋』が必要だから、とか言って父親に20ユーロをせびる。
そして最後の場面で、この息子が父親に言ったことが、最高におもしろい。
それって「隣人=Bovery(ぼvり)」と「小説=Bovary(ボヴァリ)」をごちゃまぜにした親父を皮肉ってるよね。
この息子は「現代の、現実の、フランス人」だと思う。
この親子を見ていると外側(例えばフランスに憧れを抱く日本人)から見た「フランス人」像というのは、主人公が勝手にジェンマに思い描く「ボヴァリー夫人」像と似たモノかもしれないという気がする。
どちらも妄想によって都合よく色付けされている。
バイリンガル映画としては、ジェンマが努力の成果の賜物でフランス語がどんどん上達していくのも楽しめる。
オッサン(たち)のせいで、あんなことになってしまうのだが...
監督はアンヌ・フォンテーヌ。
女性としての視点を活かした作品として他に『ココ・アヴァン・シャネル Coco avant Chanel (2009)』が有名だ。
②スイミング・プール (Swimming Pool)(2003年)
『ボヴァリー夫人とパン屋』が「中年男性の妄想炸裂話」とすると、フランソワ・オゾン監督の比較的初期の作品である『スイミング・プール』は、「中年女性の妄想全開ストーリー」だ。
でもこちらの主人公は「読者」ではなくて「作家」という立場なので、「創作的妄想」の世界として繰り広げられる。
冒頭の、あまり天候が良くないロンドンや無機質な会話(英語)から、陽光眩しいフランスの田舎に場面が切り替わると、イギリス人の主人公はフランス語を話し始める。
現実に苛立つだけだった主人公が、最初ガタガタゴトゴトしながらも、ある瞬間から「ゾーン」に入っていき、無我夢中に「事件」に関わり奔走する。
「現実」と「虚構」をテーマにしている点で、『ボヴァリー夫人とパン屋』と共通しているものの、「読者 ー 作家」「男性 ー 女性」「(主人公の母語が)フランス語 ー 英語」という反転構成であることを考えながら鑑賞するのもおもしろい。
主人公が「作品」を仕上げてフランスからロンドンに戻ってくるのが、何だか秩序のある現実に戻ってきた「旅の終わり」を感じさせる。
③『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』(Mr. Bean's Holiday)(2007年)
私はローワン・アトキンソンの大ファンだ。
Mr. ビーンも好きだが、昔のスタンドアップショーがしびれるほど好きだ。
もちろんリアルタイムで知っていたわけではなく、Youtube 時代になって知った。
「時代」ということもあるのかもしれないが、超不謹慎な内容で「本当にこんなこと言っちゃっていいの??」と思いながら笑いを禁じ得ない。
悪魔のトビーというネタでは、地獄に堕ちてきた人間の群れを「仕分ける」のだが、「はい、弁護士!」とか、「フランス人!あっちでドイツ人と並んで!」とか、そういうジョークを連発する。
「不倫をした男性はあそこの小さなギロチンの前に並んで!」とか。
アトキンソンがMr. ビーンではなく「しゃべる方の」コメディでよくネタにするのが「英国国教会(聖公会)」だ。
私はこのネタについて体験的によく知っているので、心底「おかしさ」を感じる。
ローワン・アトキンソンは一貫して「言論の自由(free speech)」を主張する活動を続けている。
一方で、Mr. ビーンは「決してしゃべらない」キャラクターだ。
Mr. ビーンの1作目の映画作品ではいろいろあって、彼が「長いスピーチ」をする、という場面があって、後々アトキンソンは相当後悔をしたと聞いたことがある。
そのせいもあってか、映画2作目の『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』では、英語もフランス語もほとんどしゃべらない。
しゃべらないMr. ビーンに対して、しゃべるキャラクターで最高におもしろいのが、フランス語通訳を伴ったアメリカ人映画監督(ウィレム・デフォー)だ。
このアメリカ人監督はものすごく自己陶酔しているオッサンで、ナルシシズムに溢れた作品をカンヌに出品するのだが、Mr. ビーンに引っ掻き回されてしまう。
強面のウィレム・デフォーがこんなおかしな役をやっているのも笑える。
英語もフランス語も聞き取りやすいので、旅行会話の練習用にも使える映画だ。
「中高年」が主人公のバイリンガル映画。
もっと他にもあるので、備忘録的にリストアップしたいと思う。