外国語の勉強や仕事をしていて、同業者や同じ立場の人に対して驚くことがよくある。
自分がそう思うということは、自分も同じように思われている可能性もある。
これが「外国語」の底知れない怖さだと思う時がある。
時々そんなぞっとする例が3つ、たまたまフランス語で起きたことを思い出す。
でも、英語でも何語でもあり得る話だ。
ジョニデの妻は何人いるのか?
昔、フランス人講師がやっているフランス語の初級コースを見学した時の話だ。
初級クラスだったが、中に学習歴の長い生徒がいた。
たまたまテキストにヴァネッサ・パラディの写真があった。
著名なフランス人歌手、俳優だ。
「これは誰ですか?」
という定番の質問文に対して、生徒が「歌手」とか「女優」と答える。
クラスの中で学習歴の長い生徒はすでにけっこう話すことができたので、フランス人講師はさらにその生徒に答えさせた。
すると、その生徒は
「ジョニー・デップの妻です。」
と答えた。
例の、前妻アンバー・ハードと出会う前の話だ。
ところがその答えを聞いて講師は慌てた。
”Elle est une femme de Johnny Depp.”
と言ったからだ。
「待ってください!"une" だったら変でしょう?そうではなくて...」と言ったが、生徒はきょとんとしてまったく意味がわからないという様子だった。
「"une" だったら、まるでジョニー・デップには妻がたくさんいて、その中のひとりという意味になっちゃう!」
フランス人講師は必死で説明したが、結局伝わらなかった。
とにかく「誰々の妻」という時は "la famme de" です、覚えてくださいということで事は収束した。
不定冠詞と定冠詞の使い分けが分からないまま、学習を進めてしまうとレベルがどうこう以前に「致命的」な問題が発生する。
「あなたが恋しい」体験をしていない?!
2つ目の例は、これもまたあるフランス語講座(初級)でのことだった。
講師はフランスの大学に留学歴のある大学非常勤講師。
何故だったか忘れたが、こんな例文を挙げた。
「私はあなたが恋しい」
英語だったら "I miss you." でフランス語では "Je te manque." になります、と言ったのだ。
「初級クラス」とはいえ、参加者は中高年のフランス語学習歴の長い生徒が多いようだった。
すぐにこの「致命的な間違い」に気づいた人は多かったと思う。
しかし「先生、それ間違いですよ」という人はいなかった。
ザワザワと当惑した空気が流れていた。
英語の場合、"miss" するのは主語である「自分(I)」だが、フランス語は"manquer" させている主体は自分(je)ではなくて相手(tu)の方になる。
だから、
"Tu me manques."(君が私を恋しくさせる)
という形になる。
イタリア語でも同じだ。(”Mi manchi.")
講師はソルボンヌ大学で哲学を学んていだそうだ。
ジャック・デリダの哲学書は読めても、こんな初歩的な構文を間違えるということはけっこう衝撃的だ。
留学時代の生活が何となく想像できる。
"Tu me manques."
という言葉を使ったことも、言われたこともないということだろう。
語学を習得するには、その言語を話す恋人を作るのが一番と言われるゆえんだ。
「箸」は2本、「指揮棒」は1本
クラシック音楽関連で「フランス語が得意です」と言う人に会ったことがある。
それでフランス語を「駆使」できるというのだが、聞いていて首をかしげたくなることが何度もあった。
指揮者の「指揮棒」の時もそうだった。
英語では"baton" でフランス語では"baguette"、女性名詞だから"une(la) baguette"だ。
ところで、フランス語の単語というのは実に不思議に「ふんわり」した部分がある。
この単語は「バゲット」という音の通り、バゲットパンを意味する。
細くて長い棒状のもの。
英語の「バトン」は、リレーの時に渡す、あの「バトン」だ。
フランス語の"une(la) baguette"が意味する指揮棒というのは、現在の形状とは違ってもっと大きくて杖のようなもののイメージだ。
フランス映画『王は踊る("Le roi danse")』にも登場するリュリというフランスの作曲家、宮廷音楽長がいる。
彼が指揮をする時に使っていた長くて先が(バゲットパンのように)尖った棒が"une(la) baguette"だ。
あの巨大杖のような指揮棒の先端で足に大けがを負い、それが致命傷で命を落としてしまうのだが、リュリの話はさておくとする。
フランス語が「ふんわり」しているのは、バゲットパン=指揮棒、さらに「箸」までも "baguette" というところだ。
形が似ていればみんな同じ単語でよし!
という考え方なのだろう。
そして私が「自称フランス語が堪能」という人の表現がひっかかったのは「指揮棒」と言う時、"les baguettes" というところだった。
(指揮棒って1本だよね?2本以上使ってないよ)
たぶん、その人は「指揮棒」と「箸」は一緒と記憶しており、頻繁に使う単語である箸は"les baguettes" だから指揮棒の時も"les baguettes" で良いと思っているのだろう。
でも箸が1本では箸ではないのと同じように、1本しかない指揮棒を "les baguettes" と言うのは絶対的におかしい。
何語でも同じだが、「そこそこできる」以上の人は逆に難しい。
それが正しいと思い込んでいるからだ。
思い込みが強すぎる場合、かえってまっさらの白紙状態から習得する方が良いようなケースもある。
以上、3つの例は私が「語学は初級が難しい」と思った3つの例だ。
①定冠詞、不定冠詞(そして、英語の場合だとここに「無冠詞」のが加わる。フランス語にも無冠詞はあるが用法は英語ほど難しくない。)
②構文(動詞の役割)
③単数と複数
②については「例文を覚える」しか解決法が思い浮かばないが、①と③については各言語特有の考え方、世界観にも関わってくる。
単数、複数については動詞の形にも影響してくるから、どんどん学習を進める前にじっくりと習得する方がよい気がする。
冒頭に書いたように、私自身、この手の間違いをしている可能性はある。
だから、「初級」の教科書を見返しては、何かたいへんな思い違いをしていることがないかどうか、時々確かめるようにしている。
とにかく、語学は「初級」レベルがもっとも重要で、難しさがある。