"Honesty(オネスティ)" と "Candide(キャンディード)" をめぐる考察

"Honesty(オネスティ)" といえば、有名なビリー・ジョエルの楽曲名だ。

"Candide(キャンディード)" は、レナード・バーンスタイン作曲のミュージカル(もしくはオペラ)の作品名。

"Candide" というのはフランス語の人名で、英語つづりだと"Candid(キャンディッドゥ)"となり、 "candid" という形容詞でもある。

意味は「率直な」「公平な」「ありのままの」である。

"Honesty(オネスティ)" についても "candid" と同じ形容詞で揃えてみると "honest"(オネストゥ)になる。

意味は「誠実な」「率直な、正直な」なので "candid" とよく似ている。

 

"honest" と "candid" の違いと語源

早速こんがらがりそうなのだが、このすごく似た2つの語の違いは何だろう?

しかし、今まで英語のネイティブスピーカーに「違いは何?」と聞いても、今一つ判然としない。

また、ネイティブでも人によって感じ方、とらえ方にばらつきがある気がする。

どちらもラテン語からフランス語、英語に伝わった語彙だ。

それを踏まえて "honest" と "candid" について、ラテン語とフランス語と並べて比べることにする。

そうすれば、その「違い」がもう少し見えてくるかもしれない。

 

"honest" の意味

まず "honesty/honest"(英)""honnêteté(オネテ) /honnête(オネットゥ)" (仏) から見てみる。

"honest"(英)の発音は「ホネストゥ」ではなく「オネストゥ」なので、フランスからの借用語だとわかる。

フランス語の "honnête" には「率直な、正直な」の他に「立派な」という意味がある。

"honnêteté/honnête" は17世紀のフランス宮廷文化における重要な概念だ。

私の好きなラ・ロシュフーコーの『箴言集』でも "honnête homme(オネトム)"=「礼儀をわきまえた立派な紳士」について頻繁に言及されている。

Larousse 辞典によれば、語源はラテン語の "honestus" だ。

これは形容詞の "honorable"に当たる。

つまり、"honest" と "honor(オナー)" 「名誉、光栄」は同じ語源ということになる。

フランス語においては "honnête" と "honneur(オヌー)" には意味上のつながりがある。

しかし、現代英語の "honest/honesty" では「歯に衣着せぬ」とか「飾らない」という意味だけで、「立派」という意味では使われない。

 

"honesty" は尊い

英語の "honest" にはフランス語の「立派」という意味は消えてしまっているようだが、冒頭に挙げたビリー・ジョエルの "Honesty" の歌詞を見てみよう。

Honesty is such a lonely word 誠実とはなんて寂しい言葉だ

Everyone is so untrue 誰しもが不誠実だ

Honesty is hardly ever heard 誠実なんてほとんど聞いたことがないが

And mostly what I need from you まさにあなたに対して求めたいものだ

この世ではめったにお目にかかることはないが、個人的に大切な相手にはどうしても欲しいのは「誠実さ」だという内容だ。

つまりビリーの歌詞でも「honest/honesty」というのは、やはり非常に「価値があるもの」と考えられている。

上に挙げたラ・ロシュフーコーも"honnête" =「正直さ」を美徳と捉えており、実際に「率直な」意見を忌憚なく述べたのが有名な『箴言集』だ。

"honest, honnête" であることは「尊い

こうした西洋の価値観が、フランスの古典から現在アメリカのポップミュージックにまで脈々と引き継がれているのかもしれない。

 

"candid" の語源

次に "candid"(英) と "candide(カーディドゥ)"(仏) についても見てみよう。

英語の "candid" は「率直な、ありのままの、公平な」という意味になる。

対して、フランス語の "candide" は「純真な、無邪気な」である。

"honest" "honnête" と同様に、英仏語間で違いがはっきりしている。

語源となるラテン語 "candidus" は「真っ白(な紙)」を意味するようだ。

「候補者」を表す"candidate(キャンディデイトゥ)" (英)"candidat(カーディダ)"(仏)もここからきているらしい。

 

"candid"はピュア?

冒頭に挙げたレナード・バーンスタイン作曲の『キャンディード』には原作がある。

18世紀のフランス啓蒙思想ヴォルテールの小説『カンディード、あるいは楽天主義説』("Candide, ou l'Optimisme")だ。

この小説の主人公カンディードはフランス語の意味通り「純真、無邪気」で「楽天主義者」の若者だ。

しかし現実世界ではことごとく理想が打ち砕かれ艱難辛苦の憂き目にあうという話だ。

前段に書いたように、フランス語においては "honnête"は「率直な、正直な」「立派な」で、"candide" は「純真無垢」だから2つの語の違いは分かりやすい。

いっぽう英語の "candid" 「率直な、ありのままの、公平な」には「純真、無邪気」というニュアンスはない。

しかし、もっとしつこく考えてみると、近似していると言えなくもない。

英語ではよく "refreshingly candid"「気持ちいいくらい率直」というような「ほめ表現」を使う。

 "refreshingly candid" の「突き抜けてる感」は、フランス語の"candide"が意味する「純真、無邪気=ピュアさ」とも相通じるのではないだろうか?

「(気持ちいいくらい)率直ってやっぱピュアじゃない?」と思うのだ。

そう仮定すると、英語の "candid" には「辞書には書いてないけど」語源のラテン語やフランス語の意味ともかなり近い気がしてくる。

 

明瞭なフランス語、曖昧な英語

言語として見た時、フランス語は比較的何でも明瞭だ。

前段の例では、フランス語の"honnête" と "candide" の意味の違いが分かりやすい。

対して英語の方は「使われ方」において、辞書的定義以外での「含み」「ニュアンス」が強いと感じる。

また、類義語が多く、意味に微妙な「差異」があるものが多い。

英語は語彙でも文法でも、常に何とも言い難い「曖昧模糊」とした難しさがある。

私がいつも感じる「英語の難しさ」のひとつは、このふんわりとした "vague(ヴェイグ)"=「漠然とした」感覚だ。

語彙数から見れば、英語はフランス語を圧倒している。

ちなみに "vague" はフランス語では「波(ヴァーグ)」も表す。

外国語から膨大な語彙を吸収して広がる海の波のごとき英語の語彙には、独特の難しさと魅力があると思う。

 

"honest" と "candid" の違い

何気に似ていて混乱しそうな英語の "honest" と"candid" について、もう少しだけ考えてみたい。

"to be honest" (正直に言えば)という表現がある。

これは「実はね...」と、それまで腹の中にひそかにしまっておいた「真実や本音」を打ち明けるような時に使われる。

この場合も "honest" はビリー・ジョエルの歌のように「その人の内面にある目には見えないもの」のように感じる。

そう考えると、 "candid" の方は他者へ向けた「態度」であり、客観的な観察、感想、評価と言えるかもしれない。

 "honest" =「内的で内面からにじみ出るもの」

"candid"=「外的で外面に表れているもの」

正しいかどうかいまいち確信がないが、両者の違いについてそんな風に解釈している。

でも、もしかしたら単に英語の "vague" さに吞み込まれ、けむに巻かれているだけかもしれないという気もする。