Google や Yahoo! で「老後」「ライフプラン」というワードを検索するとほぼ、「お金」に関するウェブサイトしかヒットしない。
でも、以前の記事でも考えたのだが、やみくもに「お金」のことだけ考えていればOK というわけではないと思う。
更に、人それぞれ価値観も、住んでいる地域も、ライフスタイルも違うのだから、「老後のライフプラン」として「お金」がいくら必要なのかだって、一様には言えない。
「毎日遊んで暮らす」ことこそ「老後ライフ」だ!という信念だとか、一年中旅行していたいなら、それなりの資金も必要だ。
でも「家が一番好き」というインドア派だったら、旅行費用を計算する必要もない。
そもそもそれくらい「個人差」がある話なのに、世間は「老後のお金」問題について異常に不安を煽る傾向が強い。
もちろん不安を煽ることによって、不安な「プレ老人」から相談を受け、「こうすれば安心ですよ」と言って相談料を頂戴するビジネスが多いせいでもある。
私は「老後ライフ」を想定しながら、現在を生きている。
いろいろシミュレーションしたり、実験したりしている。
そして現在のところ「お金」云々よりも、まずは「アクティビティ」レベルを想定する必要があると思う。
そして、自分がもっとも望む、そして快適だと思うアクティビティ比率を構築するのが良い気がしている。
例えば、
「老後ライフ」のアクティビティ割合として、
①家事 25%
②仕事 25%
③趣味 25%
④スキルアップ 25%
という感じだ。
①家事
ある程度美しく文化的な環境で暮らしていないと自分自身の扱いがおそろかになり、それが対人関係にも影響を及ぼすようになる。
「住まい」も「食事」も、「身だしなみ」の延長線上にあるので、特に年を重ねる上で大事なことだと思う。
私はそれほど「センス」はないのだが、どこかしら個性的な空間だとかこだわりのあるものが好きだ。
そして、センス=美的感覚というのは、お金をかけるか、かけないかにはあまり関係がない。
②仕事
人それぞれ「仕事したい」「仕事したくない」というタイプがいる。
好きにすれば良いと思うが、自分はコロナ禍になってからある時期まったく仕事をせず、ぶらぶら遊んでいた時があった。
結果、気の遠くなるような退屈と「ストレスゼロ」にかえってしんどくなった。
「微量のストレス」が欲しいのだと分かった。
③趣味
「老後のマネー」的に見れば、何を趣味にするかで金銭的な想定はかなり異なる。
「単にお金を払ってサービスを受ける」のを「趣味」にカウントし、それに没頭するとこの必要経費は無限大になる。
例えば「都心の外資系ホテルに宿泊する」といった「趣味」だ。
逆に「お金」ではなく自ら「手間」をかけてやることを趣味にすれば、あまりお金もかからず、達成感がある。
そして「お金」のかかる趣味と、かからない趣味をいくつかバランスよく続ければ、平均的にコストも管理しやすくなる。
私の場合、「馬」関連はお金がかかるが、「語源調べ」はほとんど無料で、楽しさのレベルは同等だ。
「スキルアップ」って変な言葉かもしれないが、「向上心」とでもいう方がよいだろうか?
昔は「年を取ると何もかも衰えていく」「人間、若い時がピークで後は下り坂だ」などと、老後ライフを絶望視させるような考え方が主流だった。
でも最近は「体力も知力(脳)も、トレーニングを続ければ衰えることはない」という考え方が一般的になってきた。
「趣味」と「スキルアップ」は似ているが、私の場合は分けて考えている。
趣味では『鬼滅の刃』や『ジョジョ』を読むが、スキルアップでは日経新聞を読み、WBS(ワールドビジネスサテライト) を観る。
どこかしら「野心」を持って「ビジネスチャンス」「上昇」などを志向するのが「スキルアップ」だと考えている。
こうして、自分の「アクティビティ比率」を想定し実行してみると、ようやく「老後ライフ」の映像が見えてきた。
ここで初めて、例の「老後のマネープラン」の「収支」を考えるための土台が考えられるのではないか?
こういうことを言うとさっそく、
「でも、年取って病気になったらどうするの?そんな想定通りにいかないだろう?」
と不安を煽ってくる人はいる。
しかし「起こるかもしれない不安」をカウントし始めると、キリがない。
「もし~たら」は「でも~だって」と同じくらいのブレーキだと思う。
保険の営業のやり口がこれだ。
しかし、日本には現行で「高額医療費制度」というシステムがあるから、任意で高額な保険に入っていない人でも、カバーできることが多い。
これ、以前保険の営業の仕事をしていた人も言っていた...
「不安」というのはやっかいな「感情」だ。
不安を煽る人の言うことを、うのみにしてしまう人もいる。
なぜかというと、心の中に葛藤を抱えて不安な人は他人に影響されやすいからだ。
でも実際には「人が抱く不安の8割は実際には怒らない」という言説がある。
そして「不安になろうがなるまいが人は100%死ぬ」と決まっている。
感情というのは、「不安」に限らず「怒り」も「喜び」もたいがい一過性の台風みたいなものかもしれない。
若い時と違って、次第に一時の感情に振り回されなくなってきた。
これは、「年を取る」ことの「効能」もしくは「ごほうび」のような気がしている。
永遠の実験かもしれないけれど、「老後ライフ」をシミュレーションしながら、少しずつほんとうの「老後ライフ」に向かっている。