デジタルデトックス、驚異の効果

昨年末あたりから予定外の出来事が続いた。

あるプロジェクトを共同でやることになっていた相手がケガをしてしまった。

不慮の事故というわけではなく、トレーニングのし過ぎで身体を傷めてしまったのだ。

このケースはずっと以前から知っている。

私自身は今までに乗馬をやっていてちょっと危険なことは何度かあった。

急停止した馬から真っ逆さまに落ちる、とか、うっかり踏まれかかる、とかだ。

でもいずれも大事には至らず、今までに大きなケガはない。

身近でケガをする人で最も頻度が高いのは、スポーツジムのマシン(特にトレッドミル)のやり過ぎで足を痛めるパターンだ。

とにかくスポーツというのはつかず離れず、どちらかと言えばなまけ気味に続けている方が身体に負担は少ない。

 

そんなことで、一緒に仕事をするはずだった人が動けなくなってしまった。

そこで別の人を探したのだが、いい人が見つからなかった。

仕方なく、単独でやりきらなくてはならなくなった。

 

折しも、年末。

私は年末年始と6月だけはひどく「迷信深い」人間になる。

正月料理も大方は自分で作る。

掃除~正月飾りまでの流れも、作法に従って決められたようにやらないと気が済まない。

それでも大がかりな清掃は業者さんにお願いしている。

ところが、昨年の大掃除に関しては、どうしても業者さんとの日程が合わない。

どうしようもなくなって、やはり全部自分でやることになった。

 

そんな訳で、何もかも自分でやらなくてはならないことが目白押しだった。

そんな2か月の間、結果として完全な「デジタルデトックス」を経験した。

とは言っても、最低限、ウェブサイトにアクセスする必要があることはあった。

でも本当に最低限しかインターネットには触れなった。

こうして「スマホ漬け」とか「スマホ脳」からは完全に離脱することができた。

 

製本された紙の本を何冊も読んだ。

ニュースはテレビで経済ニュースを中心に選んで観た。

インターネットの世界が(つまりAIが)勝手に私に提案して見せてくる様々な物事から一線を画した。

 

デジタルデトックスをして2か月。

この間に起きたことは、コロナ禍の3年間ほど、ほぼインターネットに依存して生きていた自分からすると、驚異だった。

何というのか、インターネット、SNSなどを通して見える世界と「生身の世界」との間には大きな乖離があることに気づいたのかもしれない。

 

デジタルデトックスの期間、face-to-face で人と喋って楽しかった。

そんなことを強く感じた。

そして、心の中で「ライフワークバランスの質を高めたい」と願うようになった。

振り返ってみると、多くの人も同じかもしれないが、仕事というのはたいてい「多すぎる」か「少なすぎる」かのどちらかの沼に陥りがちだ。

自分自身の過去のジレンマにおいても、そのどちらかだった。

 

デジタルデトックスによってありとあらゆる「情報」を遮断した。

インターネットに触れていると、自分の思考は自分が想定した範疇を超えられなくなると感じることがある。

だから「情報」ではなく「自分だけ」の思考で「ライフワークバランス」について改めて自問自答した。

まず「ワーク」をテコ入れしたいと思うようになった。

 

その結果、驚いたのは、自分の抱えていた問題点をバサッと解決するように事態が進展したのだ。

そして、この3年近くほとんどface-to- face では人に会わなかったというのに、次々と人に会って会話した。

そして、これまでやっていたような「ワーク」を当面すべて返上して、今春から大学で何コマか非常勤講師として教壇に立つことになった。

自分でも思いがけない展開だった。

大学講師を「やろう(やりたい)」とは全く考えていなかったが、決まってみれば内容も量も今の自分にはすごくしっくりくる「ワーク」だと感じる。

 

2か月間のデジタルデトックスがなければ自分の「リアルな世界」がここまで変化することはなかったに違いない。

思えば、インターネットやSNSというものが利用可能になったころ、その世界に「新たな可能性」を求めた。

けれども、そのヴァーチャルな世界に耽溺したことによって、今度はリアルな世界の方に「新たな可能性」を見出すことになったのは、皮肉というか不思議な気がする。

そんなことから2023年の抱負が決まった。

「現実で人と出会いたい」

「ライフ」と「ワーク」のバランスも大事だが、「ネット」と「リアル」のバランスも大事だと思い始めた。