このはてなブログを始めて半年になる。
開始後2カ月ごろから訪問者の8割がGoogle(Yahoo)やBing 他検索サイト経由になった。
似たような記事を書いた他のブログサービスよりも、検索システム最適化がだんぜん良い気がする。
でも当初考えていた、他のブログからの引越しは当面保留することにした。
理由の中のほんの小さなネガティブなファクターだが、はてなブログを使うかどうか迷っている人向けに、あまり役に立たないかもしれないが個人的な経験と感想を述べたい。
はてなブログではないブログでは「ブログランキング」などを利用している。
ランキング自体は気にしていないが、ランキングサイト経由で時々人様のブログの様子をざっとチェックすることがある。
ある日、長く続けている人のブログに「自分の記事のネタを剽窃している人がいて不愉快だ」という内容がつづられているのを見た。
こういう「事件」はブログ界では日常茶飯事だと思う。
私の場合は、以前やっていたブログで記事に内容をそっくりSNSで流用されたことがある。
また他にも「なんちゃって学術的」な内容をパクって小論文を書いた学生さんがいたことがある。
こっちにしたら「知らんわ!」という話だが、ちょっと巻き込まれ事故で迷惑だった。
要するに「ネットリテラシー」の問題だ。
上述のネタをパクられて怒っている人の言っていることはもっともだと思う。
「時事」のことをブログで扱っていたりすると、どうしても他人の記事と内容がかぶることはある。
しかし私も経験があるが、例えば「〇〇ってどういうことなんだろう」的な記事を書いた直後に(ブログを行き来している人が)自分自身のブログにわざわざ取り上げて「こういうことなんだよ!」としたり顔をする。
私はそんな場合、やっぱり「△さんの記事を読んで思ったのだけど」などの「言及」はちゃんとするべきだと思う。
剽窃問題で糾弾される人は、もしかしたら誰かの記事を読んで触発されたことに自分で気づいていないのかもしれない。
そして、人のアイディアを読んで納得したら、それは「自分のアイディアだ!」と思ってしまうのかもしれない。
あるいは「それくらい大したことじゃないから別にいいじゃん」とか。
「フレネミー」という言葉は周知されているが、インターネット、SNS の世界でもそのような人はいるようだ。
今まで他のブログサイトでは経験がなかったが、はてなブログによってそれが分かった気がする。
それははてなブログ独特の「読者登録」や「スター」といった仕組みにも関係してそうだ。
「村」的な要素が強いという意味だ。
このはてなブログを始めて間もなく、はてなが「おすすめ」する他の人のブログを「読者登録」した。
すると相手も「読者登録」をした。
しばらくするとその人のブログから一定のアクセスが続いた。
たまに訪問するブログだったが、ある日そのブログのサイドバーに「直リンク」が貼ってあるのを見つけた。
ちょっと驚いた。
「ブログ」というシステムは2000年以降から徐々に隆盛してきて、現在では旬を過ぎたツールだと言われる。
しかし過去の積み重ねとしては、ブログの前身の「ホームページ」というのが流行っていた頃から、利用者同士の一定のマナーはあった。
「直リンク」を貼る場合には一応相手のサイト(ブログ)に一言「直リンク貼らせていただきますね」という挨拶をする人が多数だった。
または「お気に入りブログは直リンク貼ってますので、嫌な方はお知らせください」とか告知する。
そうやって「挨拶」して「人とのつながり」が生まれていくのだと思う。
「直リンクごときで挨拶は不要」と考える人もいるのかもしれないが、そういう人はリアルでも人と会って挨拶しない人なのかな?という気がする。
私は「直接リンク」を貼った人のブログの中で、興味があった記事にコメントを書いた。
自分の方から「挨拶」をした上で「当ブログへのリンクを貼っていただいて」と言及した。
相手から返事もあったが、あまり好意的なコメントとは感じなかった。
「それなら何故直リンクを貼る!?」
と不思議に思った。
自分が記事をアップすると、その人は真っ先にアクセスしてくるのだが、しばらくして気づくと「直接リンク」から外し、さらに「読者登録」も外していた。
何だかわからないが突然急接近してきて、でも「敵意」を秘めている。
そしてある日、突然プチっと切ってくる。
現実にもこういうタイプの人はいる。
でも最近は現実よりもインターネットの世界の方がこういう「えっ?」と思うことが多い。
結果としては相手が「読者登録」を外したことで、私はこの経験をこうして記事に書くことができた。
「はてなブログってちょっと面倒くさいな」と感じた出来事だった。
要ははてな村の「しがらみ」をどう受け止めるかだ。
現実世界でも人とのしがらみはある。
でも最近はインターネットの進化によって極力面倒くさいしがらみは排除して生きることができるようになった。
不思議なのは10数年来、現実ではこういう経験がないのにインターネットの世界ではあるということだ。
インターネットが現実を凌駕した証かもしれない。