インスピレーションと書くことの多幸感

ブログ記事にもならないような走り書きだけど、ひらめきをそのままにしておくと消えてしまうのでほぼ殴り書きだけど、アイディアを書いておくことにした。

しかし書き始めると取り憑かれる感覚というのは、自分にとって、森の中を乗馬で疾走するのと同じか、それ以上の多幸感がある。

 

(仮)

1. 過去をほじくるのはやめておけ

2. SNS なんかやめておけ

3. 正しさを探すのはやめておけ

4. 裁判を起こすのはやめておけ

5. 真実を知るのはやめておけ

 

1. 過去をほじくるのはやめておけ

学生時代、人づてに噂を聞く程度であったが、世間に名前の知られた教授を知っていた。

その教授はいわゆる「冤罪」を研究の一つとしていた。

とりわけ、ある有名な連続殺人事件の一つで被告となった人物を巡って結成された「市民団体」とも連携して、支援活動に熱心だった。

インターネットやSNSもない時代だったけど、マスメディアを通して警察や司法に向け苛烈と言えるほどの批判を繰り広げていた。

やがてその活動が身を結び、冤罪は晴れて被告は釈放された。

支援者たちは歓喜し、正義と己の信念を寿ぎ、勝利に酔いしれた。

それから数年後の、ある日までは。

 

つまり彼らの「冤罪のヒーロー」の自宅から、ご遺体が発見されるまでは...

新たな事件における容疑者取り調べの中で、過去の連続殺人事件への関与を裏付ける秘密の曝露(犯人しか知り得ない情報)があった。

しかし過去の事件は一事不再理によって、再審理されることはなかった。

当時、世間は騒然となったが、やがて皆この事件のことは忘れていった。

私が教授の名前を久しぶりにメディアの記事で見たのはそれから20年以上経った、今から10年ほど前のことになる。

記事の内容は、昔の殺人犯とはまったく関係のない教授自身の雇用契約をめぐるトラブルだった。*

教授の名前を目にした時「ん、何か見覚えのある名前」と思ったものの、咄嗟には思い出せないほど記憶は薄くなっていた。

徐々に自分の学生時代の記憶を手繰り寄せているうちに事件の概要よりも当時の「ねっとりした得体の知れない感覚」を先に思い出した。

 

それにしても「冤罪のヒーロー」を信じていた支援団体の人たちと教授は「白が黒に変わった瞬間」何を思ったのだろう?

彼らのあの「熱気」は一体何だったんだろう?

そもそも、彼を支援しようと思った「動機」は何だったんだろう?

世間の騒ぎよりも、そうした疑問の方が大きかった。

そのことを考える時、言葉で表現できない独特の「気持ち悪さ」があった。

あまりにも気持ち悪いから、そのことをあまり思い出さないように気をつけていたほどだ。

長い時間が経過して、事件や教授のことが脳裏に浮かぶことは一瞬たりともなくなった。

最近になって、その時の「気持ち悪さ」が久しぶりに蘇った。

気持ち悪さと一緒にあの時と同じ昔「疑問」も浮かんできた。

「人は何のために(または何を信じて)声を上げ、熱狂しているのか?」

歳をとった分、私は違う角度でこの疑問に向かい合うことになる。

その引き金は、殺人事件とは関係ない。

ただ偶然にも、件の教授の動向を知った記事の内容と同種の問題について調べていた時、私はある人と出会った。

出会ったのは現代らしく、SNSでだ。