10月になってようやく悪夢のような暑さが終わったので、久しくできなかった外乗を楽しむことにした。
今年の猛暑で、全国的にあちこちで、牛を始めとする家畜が多く死んだという。
確かに、数年以上前に比べてここ2〜3年、暑さのせいで死んでしまう馬が格段に増えた感覚がある。
もちろん、暑さ自体で死ぬのではなくて、暑さで体調を崩した結果が最悪になるというパターンだ。
だから夏が始まると「馬が死なないように」と祈るしかなく、ちょっと間が空いてクラブに行くような時は、最悪なことが起きていないかとビクビクしながら厩舎を見回る。
こんな状況だから、自馬がいたらいいなと思う一方「死ぬかもしれない」恐怖と、万が一のショックに耐えるのは厳しいと思ってしまう。
一緒に暮らすペットの死も辛いものだが、馬との別れはましというわけではない。
人間同士の親戚縁者との繋がりに似たような部分もある。
過去にあちこちでお世話になったが、理由あって今は疎遠になってしまった馬の「訃報」も、それとなく耳に入ってくる。
先月も、ある大事な思い出の馬の死を聞いた。
長年馬に乗っていると、それだけ「お別れ」の数も増えていく。
死に目に会えるわけでもなく、馬の方だって大勢の「乗せてやった人間」を一人ずつ覚えているわけでもないだろう。
でもこっちは一頭ずつ定期的に思い出しては「忘れないよ」と思っている。
だから毎回乗馬をする時は常連の場合も、一度きりの場合も、「一期一会」を意識して、大切に乗るようにしている。
そんなことを考えながら、久しぶりの外乗へ。
天気は予報に反してピカピカの晴れ。
外乗専用の馬は馬術用の子たちと違って、多くは「俺(ワタシ)のスタイル」で走る。
だから外乗では彼らのスタイルを邪魔しないように乗ることを優先する。
森の中を疾走しながら、いつだったか、先生(指導官)に言われたことを思い出した。
「我々の来世はどうなるか知ってますよね?」
「・・・」
「馬になるに決まってるじゃないですか!こんだけ馬に乗らせてもらってるんだから、来世は馬になるんですよ!」
反論しようと思ったが、意志とは裏腹に、なぜか深く頷いてしまった。
仕方ない、来世に備えるためには、もっと馬と関わりを持つしかないだろう。