ブーニン・フィーバーと女性ファンの思い出

週末土曜日の深夜からブログへのアクセス数が急上昇した。

何のことかと思ったら、先日書いた「バブル時代のブーニンに言及した記事への検索サイトからの流入だった。

prerougolife.hatenablog.com

NHK で放送された「それでも私はピアノを弾く ~天才ピアニスト・ブーニン 9年の空白を越えて~」という番組について触れたのだが、私が視聴した後、再放送と復活リサイタルの完全放送があったようだ。

www.nhk.jp

記事を書いた10日ほど前の頃はこの弱小ブログにそれほどの影響はなかったが、再放送時に急激に視聴者が増えたのだろうか?

せっかくブーニンの記事だと思って読みに来てくれたと思うのだが、内容がほとんど「食べ物」のことなので、申し訳ないやら笑えるやらという気持ちだ。

スタニスラス・ブーニン氏については、前にも書いたように子ども時代からリサイタルにも行っていた。

それに実はちょっと「身近」な話もあって、記事を書く「ネタ」はいろいろある。

しかし「ピアニスト」について、あれこれブログ記事に取り上げるのはリスクがある。

昨年挫折した旧ブログも(奇しくも)ブーニン氏同様「ショパンコンクール」で優勝したピアニストを「ネタ」にしてしたのがいけなかった。

そもそも「ピアニストのファン」それも「女性ファン」は怖いという思いはある。

実はそれも、子ども時代に見たブーニン目当ての女性ファンの「鬼気迫る感じ」が怖かったのが根底にあるからだった。

 

もっと後の時代になって「ヨン様」の追っかけ女性が有名になったが、私は「元祖」はブーニンじゃないかと思っている。

当時のクラシック音楽演奏家と観客の間にこんな生々しい「火花」があったのは、あまり記憶がない。

もちろん他にも、テノールホセ・カレーラスなど、女性ファンが付いていそうな演奏家はいた。

でもブーニンの女性ファンほど「濃い」感じはなかったし、ブーニンのファンの方が人数も圧倒的に多かったと思う。

現在では当のご本人も若者ではないので「熱狂的な女性ファン」もそれほどいないだろうから、ネタとして取り上げる危険性は高くないとは思う。

でも、元来ピアニストという存在は「アイドル」になりやすいのかもしれない。

作曲家でピアニストだったフランツ・リストの女性ファンは、元祖「ピアニストの追っかけ」として知られる。

演奏を聴いて「失神」したり、リストのハンカチの取り合いをしたなど記録が残っているようだ。

サロン形式のリストの時代ですらそうだったのだから、いわんや現代をや...

 

しかしブーニン・フィーバー」のすごかった点は陶酔していたのが女性ファンだけではなかったことだ。

普段は演歌しか聴かないような「おじさん」まで惹きつけられていたのをよく覚えている。

私はスポーツと音楽については歩みや歴史が似ていると思っている。

ブーニンのピアノ演奏(特に技術)については、当時もいろいろ言われていたが、現在から見ればツッコミ所が多いと感じる人も多いだろう。

技術的にもいろいろ指摘したくなる人もいると思う。

ただ「技術」というのは、どんな分野でもどんどん進歩しているものだ。

でも1964年の東京オリンピック金メダリストの「技術」と2021年のそれとを比較してどうこうと言うのはあまり意味がない。

あの当時のブーニンの弾くショパンは、それまで誰も聴いたことがないほど力強く、男性的で、弾けるようなリズム感ととびぬけた音色だったのは確かだと思う。

それはあの時代の気質にもぴったり合っていた。

時代は「カリスマ」のような存在をもてはやしていたし、ブーニンにはカリスマがあった。

当時はバブル景気。

まさに「フィーバー」

「バブル」というと、17世紀オランダで起きたチューリップ・バブルが世界最初の「バブル」として知られている。

「堅実だった」オランダ人が、オスマン・トルコ帝国からやってきた「チューリップ」に夢中になり、異常な熱狂が起きた出来事だ。

バブル時代にソビエト連邦からやってきたブーニンに熱狂していた「生真面目だった」日本人とイメージが重なる。

バブルがはじけた後は、オランダ人も日本人もかつての「堅実」「生真面目」に戻ってしまうところもよく似ている。

子どもだった私は「舞い上がる大人たち」から恩恵を受けつつも、観察していた立場だった。

「バブル世代」と「氷河期世代」の根本的な気質の違いは、喧騒の「当事者」か「傍観者」か立場の違いによるものかもしれないと思っている。

それはともかくとして、日本武道館でもショパンを弾いていたブーニンは、私にとってバブル時代を象徴する人物だ。

でも、女性ファンに囲まれていたブーニン、まだ演奏会でもショパンばかり弾いていた当時のブーニンを見て、子どもながら思っていた。

「この人は将来いったいどんなピアニストになるのだろう?」

それはちょっとイメージができない、というのか見当がつかなかった。

でも、今回のドキュメンタリーで見たような、病気やケガなどの困難に見舞われる人生は想像もしなかった。

演奏会の放送はまだ観ていないが、ドキュメンタリーで少し聴いただけでもブーニンは必死で作品に取り組んでいた。

かつてのブーニンだったら易々と弾いていたであろう曲が、思うように仕上がらず苦闘していたところに驚いた。

でも演奏会に合わせて完成させた音楽は進化(深化)して「心を打つ」ようなものだったと感じた。

ふと思い返す若い頃のブーニンの音楽とはかなり違ったものだ。

あれほど華やかで自信がみなぎっていたブーニンに、これほどの困難を与えるとは、音楽の神様はなかなか厳しいと感じた。

それでも復活したブーニンの演奏を聴けるのは楽しみだ。