ロン=ティボー国際コンクールピアノ部門
現在、フランス・パリでロン=ティボー国際コンクール(le Concours international Marguerite-Long-Thibaud-Crespin ロン=ティボー=クレスパン国際コンクール)のピアノ部門が開催されている。
11月10日(日本時間18時)からセミファイナルが始まるそうだ。
10名の中には、日本の亀井聖矢さん、重森光太郎さんという2人のピアニストも含まれている。
先日記事にしたスタニスラフ・ブーニンさんも、このコンクールの優勝歴がある。
こうした話題を目にすると、何だかとても「心がヒリヒリする感じ」がある。
それでも「コンクールは競技会(=競争)だからガンバレ!」とスポーツと同じように応援したくなる気持ちにもなる。
2019年の同コンクールでは、務川慧悟さんが第2位を受賞している。
務川さんというピアニストのことは昨年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで演奏したラモーのガヴォットを Youtube で視聴して知った。
私はガヴォットは昔からよく弾いていた曲なので、いろいろなピアニストの演奏を聴いている。
コロナ禍で興行的に困難があったようだが、務川さんは知的で芯のあるピアニストだし、名実共に申し分なく着実にキャリアを積んでいかれるだろう。
今年のロン=ティボーコンクールのコンテスタントもベストが尽くせるといいなと思う。
ピアニストとパリ音楽院
私はフランスのアレクサンドル・タローというピアニストがわりと好きなのを除いては、特に誰のファンでもない。
でも「ロン=ティボーコンクール」というワードに反応してしまうのは、昔の優勝者の中に親戚(国籍はナイショ)がいるからだ。
身内にそういうちょっと「派手な人」がいると悪い意味で影響を受けてしまう人がいる。
歌手でも、俳優でも、テニス・プレーヤーでも、ノーベル賞受賞者でも同じかもしれない。
ピアニストの例でいえば、自分は演奏もしないのに「七光り」だけで「自称耳が肥えた」人になってしまうような人もいる。
また、これは「身内」に限らないが「一流」のレッテルを誉めそやすのが趣味の人もいる。
もっと言うと「クラシック音楽」の「一流演奏家」以外を下に見ていることも多い。
そういうのを観察していると「視野狭窄してるなあ」と思う。
そのことは後述するとして、ピアニストとして「コンクールを勝ち抜く」というのは「死闘」だ。
学生時代の友だちに、すごい才能があって「パリ国立高等音楽院(CNSMDP コンセルヴァトワール)」に入学した人がいた。
しかしそれからしばらくして帰国し、その後一切ピアノをやめてしまった。
他にもう一人、弦楽器の方でコンセルヴァトワールに入った知人がいる。
こちらはしばらくメンタルが不調になってしまったが、その後復帰して音楽業界でプロとして活動している。
ものすごく才能がある人はたくさんいる。
だけどその技能がその人の生涯においてどんな位置づけになるかは「運」とか「巡り合わせ」も大きいと思う。
上記の友人は、私が別の友だちとピアノを弾いて遊んでいた同じ場所で、いつもダンスの練習をしていた。
「ピアノはもう弾かないの?」と聞くと「弾かない」ときっぱり即答した。
それを聞いて、パリでの生活が本当に「死闘」だったのだろうと思い、二度と同じ質問はしなかった。
クラシックの特権意識とピアノをやめた人たち
上に名前を出したアレクサンドル・タローというピアニストのことを私が知ったのは、「恐ろしい映画」を作り続けるオーストリアの映画監督ミヒャエル・ハネケの『愛、アムール』という作品だった。
この作品の中でアレクサンドル・タローは本人役(ピアニスト)として出演し、ピアノを披露していた。
そこからタローの弾くフランス音楽をよく聴くようになった。
ちなみにこの人もやはり「パリ国立高等音楽院(CNSMDP コンセルヴァトワール)」の出身だ。
さて、そのハネケ監督の別の映画『ピアニスト』の中で印象的な場面があった。
主演のイザベル・ユペール(ピアノ教師)とブノワ・マジメル(若い学生)が出会ったサロン・コンサートでの最初の会話だ。
マジメル:
「こうしたサロンコンサートの文化は今では廃れてしまいましたね。若者はブルックナーの喧騒を好むばかりで...」
ユペール:
「ブルックナーを貶めるのは若気の至りですよ...」
記憶頼りだが、たしかそんな会話だったと思う。
この会話が印象的だったのは
「うわ。クラシックオタクが言いそう...」と思ったのと、「サロンコンサート」もとい「ホームコンサート」の思い出だった。
親戚にかなり音楽一家なファミリーがいた。
だから上記の映画に出てきたような大人数が呼べるような「サロン」ではなかったが、「ホームコンサート」的なのをしていた。
私は声楽を習っていたが恥ずかしかったので、ピアノでラモーの小作品を弾いた。
その家では私と一番親しかったメンバーがピアノがかなり達者で、ラヴェルをカッコよく弾いていた。
しかしある時、
「何か思うんだけど、クラシックって『そう弾いちゃダメ』の制約が多すぎて、イヤになっちゃったんだよね」
と言い始め、とうとうピアノを弾かなくなってしまった。
その時、あのパリ音楽院に行ってからピアノをやめてしまった友人を思い出した。
2人ともあれだけ技術があるのにやめてしまったんだな。
クラシックのピアノって、何か才能ある人をそういう気持ちにさせる「辛気臭さ」があるのかもしれない。
強烈な特権意識とヒエラルキーと制約。
世界中でクラシック音楽の演奏者も愛好家が減り続けているのも頷ける。
それからすごい歳月が経った。
あの頃以来、ホームコンサートなんて一度もなかった。
私は今でもフラフラと軽い気持ちで、適当にひとりでピアノを弾いている。
リチャード・クレイダーマンの偉大さ
たまたま、私の憧れのカントリーライフ with 馬(ポニーさん)をしておられるふぉざりんさんから頂いたコメントに「リチャード・クレイダーマン」の名前が出てきた。
2日間暇をつぶさなければならなかったので、Youtube でリチャード・クレイダーマンを聴いて過ごし「すごい人だったんだ!」と思った。
その日の夜には自分で「渚のアデリーヌ」を弾いていた...
インタビュー動画で目指すのは「クラシックとポピュラーの融合」とご本人が答えている。
昔の動画だけでなく最近のも見たが「貴公子」としてアイドル路線?だった頃より68歳の現在の方が魅力を感じる。
さらにWikipedia を参照すると、また例のパリ音楽院という名前が出てきた。
(以下、日・英・仏版で内容に相違があるがそれぞれから抜粋してまとめると)
12歳でパリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)に入学、16歳で首席で卒業。
父親の病気による経済的困難のためクラシック音楽の演奏家としてのキャリアを断念。
生活費を稼ぐため銀行とステージ・ミュージシャンとしてバンドの伴奏の仕事を始める。
コンセルヴァトワールで「天才」と呼ばれたフィリップ・ロベール・ルイ・パジェスさんが「リチャード・クレイダーマン」になったいきさつに感動した人たちのネット上のまとめも見つけた。
上記サイトでは途中で「事実誤認」として「クレイダーマン」という名前は彼の曾祖母の苗字「クレイデルマン」に由来しているらしい(英語版 Wiki の記載による)。
それでも「リチャード・クレイダーマン」を生きてきた元クラシック畑の演奏家の生きざまに私も衝撃を受けた。
そして「この人ほんとうに人柄が良さそう」と思った動画の中に、最近のものでクラシック音楽を扱ったのがあった。
この「前口上」がすごくフランス的で、やや「ありきたり」っぽくもあるが、それでもやっぱりフランスらしい安心感と洗練がある。
上述の映画『ピアニスト』でもブノワ・マジメル(本人が演奏!)がサロンコンサートの場面で同じようなフランス的な前口上を述べていた。
そしてこの動画を見て、気のふさぐことの多いコロナ禍、自宅でチャイコフスキーの「花のワルツ」のオーケストラ演奏に合わせてピアノを弾きたいと多くの人が思ったに違いない。
リチャード・クレイダーマンの「明るさと楽しさ」は「辛気臭さ」とは無縁だ。
そして「幸福感」が伝わってくる。
自分の老後を見据えて「プレ老後」を生きる上でインスピレーションをたくさんもらえる気がする。
良い学校に行くとか競争に勝つことこそが人生のすべてを決めると思いがちだが、やっぱり人生は長い。
若い頃はそういう人生の「幅」に気づかず、やっぱり「視野狭窄」していて、目の前のことしか見えていないことが多かった。
私は音楽を志した人間ではないが、(そのおかげで?)今もそこそこ幅広く音楽が楽しめることは幸運だと思う。
追記: 務川慧悟さんもまたコンセルヴァトワールのご出身とのこと。意図せず「尽くし」になってしまった...