最近は AI 翻訳の機能が進化して、かなり正確な翻訳が可能になった。
でも、個人的に懐疑的な意見も持っている。
10数年前から数年前まで、その開発の一端、じゃなくて末端?に絡んでいたからだ。
現在の精度では、やっぱりまだ「人間のチェック」がないと恐ろしくて使い物にならない。
ポストエディットやプルーフリーディングの手間だってバカにならない。
一方で、確実に AI 翻訳のおかげで「助かった!」と思うことがある。
社会人になってからずっと英語を使った仕事をしてきた。
仕事関係の人々は従って英語ができる(=英語で仕事ができる)のは珍しくない。
でもごく普通の日本の日本人社会では、英語ができることはまだ普通ではない。
自分はかなり特殊なカリキュラムの日本の高校で英語中心の課程を卒業した。
確か、高校2年時で「英検準1級」必須だったから、割と良い英語教育だったと思う。
「これからの日本は英語は必須になるから、英語はできて当たり前の世の中になるよ」
とその頃、教師たちは言っていた。
あれから四半世紀以上経つが、日本は全然そんなことないと思う。
逆に一般的な日本の日本人社会では、英語ができると人に知られると面倒なことが多い。
「ねえ、これ英語なんだけど・・・翻訳してくれない?英語苦手なんだ・・・お願い!」
と(あまり親しくもない)知人から頼まれることが驚くほどよくあった。
この際だから書いておくと、2023年現在でも、翻訳はタダでできることではない。
金額に換算してA4用紙1枚程度でも数千~万円ほどの労力になる。
こういうことを頼んでくる人というのは、意外と老若男女バランスよくいた。
中にはいわゆる士業の男性なんかもいた。
自分もスキルで仕事をしているのに「タダでやってくれ」と言えてしまうのが素直にすごいなと思ってしまった。
この体験は、同じく割と英語ができる多くの知り合いからかなりよく聞く。
「そうなのよ!翻訳みたいな面倒なことをタダでやってなんて、図々しすぎると思わない?」
そう憤慨して声を荒げる人もいた。
「つまりね、そういう人っていうのは英語ができる人に『嫉妬』してるのよ!自分はできないのに、人ができるっていうのが羨ましくて『ずるい』って思っているに違いないわ!だから『これくらいやってくれたっていいでしょ』って思ってるのね!」
というのが上記の知人の意見だ。
また別の人は、
「職場に何でもかんでも英語が絡んでいるというだけで『ねえこれ英語だからやって』って丸投げしてくる人がいて困るんだよね。こっちは何の案件かまったく情報もないっていうのにね・・・でも結局手伝っても『ありがと』って言うだけで手柄は持っていくんだよね。」
その時話していて、
「結局、普通の日本の日本社会においては、英語ができると損するから秘密にしておく方がよい」
という共通の結論に至った。
「英語ができる」ことは業務上の必要性がない限り、周囲の人々に知られないよう「隠れキリシタン」のようにすべきだ、と。
そこに現れた救世主が AI 翻訳だ。
このツールのおかげで、
「ねえ、(タダで)翻訳してくれない?」
という恐怖のお願いと、それに関する苦情、不満、憤懣を一切耳にすることがなくなった。
そのことだけでも AI 翻訳には感謝している、と「英語使い」である私の友人知人たちは異口同音だ。
たとえ、それが今後本格的に翻訳を生業としている人々から仕事を奪うことになっていくとしてもだ。
しかし、高校教師が言っていたように、まだ20年前と今とでは日本は何も変わらず、みんな普通に英語を使う社会にはなっていない。
きっとこれからもずっとそうに違いないと思っている。