源実朝とLGBTQ

『鎌倉殿の13人』では、私の中学時代のアイドル源実朝は同性愛者として描かれているようだ。

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三谷幸喜さんの演出はとても現代的で新鮮だ。

柿澤優人さんの演技もすばらしいので、非常に説得力があり自然に感じる。

実際の実朝の性的指向(sexual orientation)を証明するものなどないし、歴史ドラマの脚本としては、はっきりしない部分の曖昧さを最大活用するのが腕の見せどころだろう。

私は遥か昔、学問の端くれをかじっていた頃、歴史ではなく文学だったが実朝の和歌の師匠、藤原定家について少し勉強していた。

「文学」と「歴史学」はジャンルが違うが、この時代には今もそこそこ興味を持っている。

実朝 LGBTQ 説に限らず、三谷氏は脚本のベースにしている『吾妻鏡』の他、民間伝承や比較的新しい学説を巧みに取り入れて斬新なシナリオを書いているようだ。

LGBTQについても思いつきではなく先行する見解を踏まえて採用したのではないかと思う。

ただ、LGBTQを「悩み」として抱えているという設定については、現代的な感性かもしれないという気がする。

日本の歴史において「男色」は倫理的に問題はなかったし普通に行われていたからだ。

私の遠い先祖にも「男色」で知られる人物がいるが、その話はまた機を改めたい。

実朝が実際に悩んでいたかは別として、三谷先生から悩める我ら現代人へのエールだろうと思うし、役者さんの演技にも感動した。

決定的な証拠はないと書いたが、最近の実朝研究における LGBTQ 説の中には実朝の詠んだ和歌の中の恋歌に注目するものもあるようだ。

しかしここでも注意しなければならない点がある。

例えば、現代人は実朝の恋歌を見て「実朝がこの歌に託した恋愛感情の対象は男か?女か?」というような視点を持つかもしれない。

でも当時は、天皇後鳥羽上皇も!)でも僧侶(慈円も!)でも他の男性貴族(定家も!)みんな女になりきって(女性仮託)恋しい男への恋情を詠むというスタイルが普通に取られていたことも考慮する必要があるだろう。

またあの時代に完成した技法として「リアルな恋心」を素直に詠むというよりも、有名な恋歌を(リスペクトして)語句の一部を織り込む「本歌取り」を駆使した和歌が多いことも重要だ。

だから実朝が切々とした恋歌を詠んでいるからといって、実際に恋をしていたことの反映とは言えず、恋歌の解釈から「恋の相手」を推測するのはリスキーな方法論だろう。

また、もしかしたら実朝は武家の棟梁なのに貴族文化である和歌に没頭したことを強引にLGBTQ に結び付けようとする人がいるかもしれない。

でも、あまり知られていないが当時和歌を嗜んでいた武士は実朝だけではない。

定家に師事した実朝と同じように、京都の貴族から通信添削で指導を受けるのが坂東武者の間ではちょっとしたブームだった。

貴族の方も武士の勢力拡大で経済的にも不安定になってきたから、貴族の文化を教えることで収入を得ることができた。

実朝はその中でも際立って才能があったということで有名になったが、坂東武者たちも一生懸命良い歌を詠もうと頑張っていた。

 

実朝は「宋に行きたい」と言ったから夢見がちだとか、「自分の代で源氏の正統は絶えるから官位を極めたい」と言ったから死を予感したとか、LGBTQ だというのは仮説の域を出ないと思う。

なぜかというと、人が発言することはいつも本音とは限らないからだ。

人は普通に嘘やでまかせ、時には意図的に本心とは違うことを言うし、言葉を額面通りに受け取る人もそんなに多くない。

そして何と言っても事実の歪曲が多いことで有名な『吾妻鏡』に書いてあることだ。

だから実朝の発言を素直に本音だと思って解釈するのは少し単純な見方かもしれない。

歴史上の人物としてはミステリアスな実朝だが、彼が詠んだ和歌は憶測や曖昧さとは無縁な、はっきりとした存在感がある。

現代人の心にもまっすぐに響いて鮮やかな印象と感動を与えるのだと思う。

 

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