実朝の「割れて 砕けて 裂けて散るかも」

『鎌倉殿の13人』を観ていてドラマとしてはちょっと珍しいと思うのは、今までに二首の和歌が「5・7・5・7・7」のまま省略されずに登場したことだ。

もしかしたら二首だけではなくてもっと出てきたのを見逃している可能性もあるが、覚えているのはこれまでに二首だ。

 

頼朝の愛妾「亀」が引用した和歌

最初の和歌は、小池栄子さん演じる北条政子が夫の愛人と直接対決するという場面だった。

源頼朝のお気に入りとして『吾妻鑑』にも登場する亀(亀の前)を演じていたのは江口のりこさん。

三谷幸喜さんはこれまでの亀の前のイメージを覆す「プライドと教養の高い女性」として描いている。

「妻 VS 愛人」という泥臭い場面を想像したが、江口さん演じる知的な亀は突然、政子に向かって(超)有名な和歌を持ち出す。

「黒髪の乱れも知らずうち臥せば まづかきやりし人ぞ恋しき」『後拾遺和歌集』(和泉式部

(黒髪が乱れるのも構わず体を横たえると、その髪をさっとかきやった(亡き)人が恋しい)

和歌を引用することによって、修羅場を演じる気満々という雰囲気の政子に対して、

「そんなくだらない喧嘩なんかしないわ」という意志表示をしている。

でも政子は当時の教養人なら誰でも知っている歌人和泉式部のことさえ知らない。

「文化・教養」を見せつけることによって、

「くだらない現実に構ってないで、御台所になったご自分の教養を高めなさいな」

と(愛人の立場なのになぜか)政子を𠮟咤激励する江口さん、じゃなくて亀の方が一枚上手だったような一場面だった。

 

源頼朝の和歌

北条政子と亀の一件があって後、長い月日が経ったある日。

政子がただ一人生き残った我が子、実朝のために和歌を書写したという場面が『鎌倉殿の13人』に出てきた。

かつての「敵」のアドバイスを受け入れて、御台所(尼御台)として研鑽に努めてきたことを表しているのかもしれない。

三谷さんの脚本では源実朝が和歌に興味を持つようになったのは、政子の希望だったように描かれている。

従来の仮説では実朝の御台所となった後鳥羽上皇の従姉妹、坊門信清の娘(ドラマでの名は「千世」)の影響ではないかと言われている。

実朝が和歌を詠み始めたのは、結婚後1年頃からだからだ。

さて、ドラマで実朝が和歌の書写を読んで「気に入った」と政子に伝えたのは、父頼朝の歌だった。

「道すがら富士の煙も分かざりき 晴るる間もなき空の景色に」新古今和歌集

(道すがら富士の煙も分からなかった 晴れる間もない空の景色に)

どうでしょう?この現代語訳不要の分かりやすいシンプルな表現。

とても素直で大らかで、当時は活火山だった富士山の山頂が曇っているのを頼朝が眺めている情景がありありと目に浮かぶ。

ちなみに頼朝は、ドラマの中では後鳥羽上皇の参謀として登場する(山寺宏一さん演じる)慈円とやり取りした時の和歌も『新古今和歌集』に撰ばれている。

頼朝は武家の棟梁ではあるが、やはり京育ちで雅な人だったのだろう。

 

実朝の「割れて 砕けて 裂けて散るかも」

そしていよいよ実朝の代表作が、『鎌倉殿の13人』では三首目の和歌としてドラマ中で披露されるシーンが登場しそうだ。

「大海の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて割けて散るかも」金槐和歌集

この和歌は近代(明治)以降になって、多くの文学者によって絶賛され、近代文学にも影響を与えている。

実朝の師匠であった藤原定家は若い頃「技巧」を極めた和歌の完成に入れ込んでいた。

でも晩年に向かって「技巧」よりも「自然」な和歌へと作風の重心をシフトしている。

そんな師匠の教えをしっかり学んだ実朝の歌は多彩(多才)で、いかに優秀な歌詠みだったかよく分かる。

「大海の~」の和歌は「写実的」と評されることが多い。

もちろん近代以降の解釈では実朝の心の中を投影した作品であることも知られている。

でも「写実」という点をもう少し注意深く見てみると、実は単なる「写実」ではないことが分かる。

実際に波が磯に当たってしぶきが上がるのは秒単位(秒未満?)の一瞬だ。

丸谷才一氏だったか?誰が言ったのかどうしても思い出せないが、昔この和歌について「カメラの連写撮影」に喩えた解説を読んだことがある。

「割れて」カシャ

「砕けて」カシャ

「裂けて」カシャ

「散る」カシャ

という具合に、肉眼では捉えきれない一瞬をカメラで切り取ったような手法だという。

たしかに現代ではそうした連続撮影の画像はよく見るし、珍しいものではない。

でも若い頃その解説を読んだ時

「でも実朝はカメラなんて知らなかったのに」

と思い、ちょっとゾクッとしてしまった。

「連続写真のような写実」ができた実朝は、もしかしたら現代からタイムスリップした人ではないかと思う時がある。

それほど実朝の和歌が現代人の心に響くことが不思議に感じるからだ。

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